『掬水月在手』——つかめなかった月は、すくった水のなかに、ちゃんといました

九月の、最後の日です。

このあいだ、「半年でできなかったことの数より、ひとつだけつづいたことを数えてみませんか」と書きました。

今日はそのつづきを、禅の言葉をひとつお借りして書かせてください。

『掬水月在手』という教え

禅の言葉に、『掬水月在手』(みずをきくすればつきてにあり)というものがあります。

もとは古い漢詩の一節で、いまは禅の言葉としても伝わっているものです。

両手で水をすくうと、その手のなかに月が宿る、という教えです。

このあとに、もう一句つづきます。

『弄花香満衣』(はなをろうすればかころもにみつ)。

花にふれれば、その香りが衣いっぱいに満ちる、という意味だそうです。

ぼくは、この言葉をこんなふうに受けとっています。

月そのものは、どうやったって手に入りません。

どれだけ手を伸ばしても、空の月は、遠いままです。

でも、目の前の水を、両手でそっとすくったとき。

その手のひらの水面に、月が映る。

つまり、月を手に入れる方法は、

月に向かって手を伸ばすことではなくて、

足元の水を、ひとすくいすることだった。

そういうことなんじゃないかと思うんです。

ぼくが、月ばかり見ていたころ

すこしだけ、昔の話をさせてください。

ぼくは若いころに事業をはじめて、そのあとうまくいかなくなり、

アディクションを抱えて、部屋から出られなくなりました。

あのころのぼくが見ていたのは、ずっと「月」でした。

こうなっていたはずの自分。

手に入るはずだった結果。

あれさえ取り戻せば、ぜんぶひっくり返せる。

そう思って、暗い部屋のなかで、ずっと空ばかり見上げていた。

もちろん、手を伸ばしても、なにも掴めません。

そして掴めないたびに、ぼくは自分の値段を、また一段下げていきました。

そんなぼくが動きはじめたのは、

大きな何かを掴んだからではありませんでした。

郵便受けを開けた。

ゴミを一袋、玄関の外に出した。

ずっと返せていなかった連絡に、一行だけ返した。

どれも、月とは似ても似つかない、ちいさなことです。

だれかに話しても、たぶん、ふうんで終わる。

でもいま思えば、あれがぼくにとっての「水をすくう」だったんですよね。

そして、すくった手のひらを覗いたときに、はじめて気づくんです。

あ、ここに映っている。

掴めなかったはずのものが、ちゃんと、手のなかにいる。

握ると、消えるんです

おもしろいのは、手のなかの月は、握ったら消えてしまう、ということです。

指を閉じたら、水はこぼれて、月も一緒になくなる。

ぼくたちはつい、いいものを見つけると、握りしめたくなります。

この調子を、なくしたくない。

この関係を、失いたくない。

このしずかさが、ずっとつづいてほしい。

でも、力を入れた瞬間に、こぼれていく。

だから、ひらいたままにしておく。

手のひらの上に、ただ、置いておく。

月は、どうやらそういうふうにしか、

手のなかにいてくれないみたいです。

つみへらし、という言葉をぼくは大切にしています。

足すより、手放す。

ただ、ぼくのなかでは、手放して終わりではないんです。

手放したあとに残ったものを、ちゃんと見るところまでが、つみへらし。

いらないものを置いていったら、次は、手のひらを覗く。

今日は、その後半の話をしています。

手のひらに、なにが残りましたか

上半期のあいだに、できなかったことは、たぶんたくさんあります。

ぼくにも、山ほどあります。

でも今日は、それを数える日ではなくて、

手のひらを、いちどひらいてみる日にしませんか?

半年、水をすくいつづけた手です。

なにも掴めなかったと思っているその手のなかに、

たぶん、あなたが気づいていない月が、ひとつ映っています。

とぎれとぎれでも、まだやめていない習慣かもしれない。

まだ切れずに残っている、だれかとのつながりかもしれない。

やめたおかげで、しずかになった時間かもしれない。

「そんなの、たいしたことない」と思われるかもしれません。

でも、思い出してください。

月は、手のひらほどの水にも、ちゃんと映ります。

大きな湖でなくても、いいんです。

今日の、3分

九月の最後に、これだけ。

① コップに、水を一杯くむ

お茶でも、白湯でもいいです。

ただ、くんだらすぐ飲まないで、いちど手を止めてください。

② その水面を、10秒だけ、じっと見る

なにかを考えようとしなくていいです。

思い出そうとしなくてもいい。ただ、見る。

③ そのあいだに浮かんできたものを、一行だけ書く

「◯◯が、まだつづいている」

「◯◯さんと、まだつながっている」

うまく文にならなければ、単語ひとつで十分です。

なにも浮かばなかったら、「今日、水を飲んだ」でもいいです。それも、ちゃんと一句です。

そして最後に、その水をゆっくり飲んでください。

それで、九月はおしまいです。

やわらかい締め

あしたから、十月です。

新しい半年に、大きな月を掲げなくていいですからね。

目標を並べなくても、生まれ変わらなくてもいい。

すくえるのは、いつだって、手のひらのぶんだけ。

でも、そのぶんだけで、月はちゃんと映ります。

焦らず、比べず、背伸びせず。

今日もまた、自分らしいペースでトコトコ歩いていきましょうね。

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