支援する・されるの線を、ぼくは引きたくない。——教わっているのは、たぶんぼくのほうです

人に頼るのが、どうしても苦手ではありませんか?

頼んだほうが早いとわかっているのに、けっきょく自分で抱えてしまう。

「だいじょうぶ?」と聞かれた瞬間に、反射で「だいじょうぶです」と答えてしまう。

ぼくも、ずっとそうでした。

そして、いまも油断すると、そうなります。

そんなあなたへ。

だいじょうぶ、あなただけじゃないですからね。

「してもらう側」に立ったときの、あの感じ

すこしだけ、昔の話をさせてください。

ぼくは若いころに事業をはじめて、そのあとうまくいかなくなり、

アディクションを抱えて、部屋から出られなくなりました。

あのころのぼくは、完全に「してもらう側」でした。

そして、正直に言うと、それがしんどかったんです。

助けてくれる人がいなかったから、ではありません。

いてくれたんです。ありがたいことに。

しんどかったのは、その関係のなかで、

矢印が、いつもぼくのほうにだけ向いていたことでした。

もらうばかりで、なにも渡せない。

だれかが悪いわけではないんです。

みんな、ほんとうに善意でした。

ただ、受け取りつづけていると、

だんだんその人に会うのが、こわくなってくるんですよね。

顔を合わせるたびに、「返せていない自分」を確認してしまうから。

いま思えば、ぼくがあのときいちばんほしかったのは、

助けそのものよりも、

「あなたも渡す側だよ」という扱いだったのかもしれません。

線を引かれると、人は、そこから動けなくなる

支援する人と、される人。

教える人と、教わる人。

してあげる人と、してもらう人。

こういう線は、便利です。

役割がはっきりして、話が早いですから。

でも、線を引いた瞬間に、線の下に置かれたほうは、動きにくくなります。

返せないと思ったら、人は受け取れなくなる。

受け取れなくなったら、そこから出ていくしかなくなる。

ぼくは、あれを一度やっているので、

どうしても、その線を引きたくないんです。

いま、ぼくが見ている景色

ぼくはいま、障害のある人たちがはたらく場所に関わっています。

正直に書くと、はじめのころのぼくは、

「支援するために」そこへ行っているつもりでした。

でも、通ううちに、どうも逆さまだぞ、と気づいたんです。

たとえば、うまくいかないことがあってぼくがそわそわしている日に、

そばで、黙々と手を動かしている人がいます。

その手つきをしばらく見ているだけで、

ぼくのなかの焦りが、すーっと下がっていく。

たとえば、ぼくが気をつかって遠回しに言ったことに、

「それはいやです」と、まっすぐ返してくれる人がいます。

ああ、そんなふうに言っていいんだ、と、ぼくのほうが教わる。

一日の終わりに、「今日、なにを渡せたかな」と考えると、

たいてい、あまり思いつきません。

でも、「今日、なにを受け取ったかな」は、いくつも出てくる。

それが、くやしくないんです。むしろ、うれしい。

線なんて、引かなくてよかったんだ、と思えるから。

ぼくがつくりたいのは

だれかを責めたいわけでも、どこかを指さしたいわけでもありません。

ぼくには、つくりたい景色があるだけです。

ぼくがつくりたいのは、矢印が両方に向いている場所です。

だれかがだれかをずっと助ける場所ではなくて、

その日その日で、渡す人と受け取る人が、自然に入れかわる場所。

今日はぼくが手を貸して、明日はぼくが助けてもらう。

今日は教えて、明日は教わる。

そのくらい、ゆるく行ったり来たりしている場所。

りっぱな理念があるから、そう思うのではありません。

受け取るばかりだった時期のぼくが、

いちばん息をしやすかった相手は、

ぼくを「してあげる相手」として見なかった人だったからです。

たったそれだけの理由です。

これは、あなたの毎日にもある話だと思うんです

こう書くと、「それは福祉の現場の話でしょう」と思われるかもしれません。

でも、ぼくはそう思っていないんです。

家庭でも、職場でも、ぼくたちは知らないうちに線を引いています。

いつも、気づく側。

いつも、聞く側。

いつも、フォローする側。

繊細ながんばり屋さんは、たいてい線の「する側」に立ちつづけています。

まわりが気づかないことに気づけてしまうから、そうなる。

そして、する側に立ちつづけていると、だんだん頼れなくなります。

頼るのが苦手なのではなくて、

矢印の向きが、固定されてしまっているだけなのかもしれません。

ここで、ひとつだけ言わせてください。

頼ることは、相手からなにかを奪うことではありません。

頼ることは、相手に「渡す番」を渡すことでもあるんです。

ずっと受け取ってばかりの人がしんどいのと同じで、

ずっと渡してばかりの人も、じつはしんどい。

順番を交代してあげるのは、やさしさの一種だと、ぼくは思っています。

今日の、小さな一歩

大きな相談をしましょう、という話ではありません。

今日できる、ちいさな3つだけ。

① 3分で終わることを、ひとつだけ、だれかに頼む

「ちょっとこれ持ってて」「この字、なんて読むんだっけ」くらいで十分です。

むしろ、そのくらい小さいほうがいい。頼る筋肉は、軽いものから動かします。

② やってもらったら、「ありがとう」のあとに、なにが助かったかを一言そえる

「ありがとう、おかげで手が空きました」

これだけで、相手は"渡せた"という感覚を受け取れます。

③ 寝る前に、「今日、人から受け取ったもの」を一行だけ書く

モノでなくていいです。

かけてもらった言葉でも、表情でも、ゆずってもらった順番でも。

三日もつづけると、自分がいかにたくさん受け取っているかに気づいて、

すこしびっくりします。

やわらかい締め

九月も、もうすぐ終わります。

ぼくが関わっている取り組みのことは、ここに置いてあります。

気が向いたときに、そっとのぞいてみてください。

https://corp.lifeartlab.com/

今日は、それだけです。

支える側でいつづけなくていいですからね。

あなたが受け取ることで、ほっとする人も、ちゃんといます。

焦らず、比べず、背伸びせず。

今日は、3分ぶんだけ、だれかに頼ってみましょうね。

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