認められたいわけじゃない。
そう思っているはずなのに、ふとした一言で、こころがふっと軽くなること、ありませんか?
ほめ言葉ではなくて。
「あなたのしたこと、ちゃんと届きましたよ」という、ただの報告。
そういう一言に、思いがけず救われる日があります。
ぼくの仕事で、いちばん好きな瞬間
いまぼくは、障害のある人たちが働く場所に関わっています。
そこでは、絵が描かれます。
その絵がグッズになったり、作品として、どこかのだれかの手もとに届いたりします。
ぼくの仕事のなかで、いちばん好きな瞬間があります。
描いた人に、こう伝えるときです。
「あなたの絵、ひとつ売れましたよ」
反応は、人によってぜんぜんちがいます。
「へえ」とだけ言って、また手を動かしはじめる人。
一瞬だけ止まって、目がまるくなる人。
うれしさをどう出したらいいのかわからなくて、下を向いてしまう人。
その場では無反応で、次の日にとつぜん「あれ、どんな人が買ったんですか」と聞きにくる人。
はでによろこぶ人は、じつはあまりいません。
でも、ぼくが見ているのは、そのあとです。
つぎに紙に向かうときの、手の置き方が、ちょっと変わるんですよね。
うまく言えないのですが、線が、すこしためらわなくなる。
ほめ言葉より、事実のほうが遠くまで届く
「じょうずですね」と言われることと、「ひとつ売れました」と言われることは、似ているようで、ぜんぜんちがうものだと思っています。
前者は、評価です。言った人の感想。
後者は、事実です。どこかのだれかが、これを選んで、自分の暮らしのなかに置いた、という出来事。
評価は、言い方ひとつで変わります。
だから、うたがえてしまうんですよね。気をつかってくれたのかな、と。
でも、事実はうたがえません。
なんの義理もないだれかが、手を伸ばした。それはもう、起きてしまったことだから。
がんばれてしまう人ほど、ほめ言葉を受けとるのが下手です。
ぼくもそうでした。
ほめられると、反射で値引きしてしまう。「いえ、そんなことないです」と。
でも、事実には値引きのしようがありません。
だから、こころのいちばん奥まで、まっすぐ入ってくるんだと思います。
ぼくにも、その「ひとり」がいました
はずかしい話をします。
アディクションにのみこまれて、部屋から出られなくなっていた数年間。
ぼくにいちばんこたえていたのは、お金がないことでも、肩書きを失ったことでもありませんでした。
自分がいてもいなくても、世界はまったく同じだ、という感覚です。
自分の存在が、どこにも触れていない感じ。
これは、けっこうしんどいものでした。
そこから出るきっかけになったのは、大きな成功ではありません。
ぼくが書いたものに、たったひとり、反応があったことでした。
内容は、たいしたことは書いていなかったと思います。
でも、「読みました」という事実が、ぼくの外側から届いた。
そのとき、はじめてわかったんです。
ぼくに必要だったのは、はげましではなくて、「届いた」という手ざわりだったのだと。
ひとりに届けばいい。
ぼくがいまもこの言葉を大事にしているのは、ぼく自身が、その「ひとり」に助けられたからです。
ぼくがやりたいのは、そんなに大きなことではありません
だからぼくは、こう思っています。
売れたかどうかより、それがちゃんと本人に伝わっているかどうか。
そこが抜けてしまうと、いちばんだいじなものが、渡らないままになってしまう。
つくった人に「届きましたよ」と伝えられる道を、ひとつずつ増やしていきたい。
ぼくがやりたいのは、たぶん、それだけです。
伝えるのは、ぼくでなくてもいいんです。
買った人の「いいですね」の一言が、そのまま本人のところへ流れていく道さえあれば。
作品ギャラリー https://gallery.lifeartlab.com/
見てもらえるだけで、じゅうぶんうれしいです。
気になった方は、そっとのぞいてみてください。
これは、あなたの毎日の話でもあります
ここまで読んで、遠い世界の話だなと思われたかもしれません。
でも、ぼくはまったく同じことが、あなたのまわりでも起きていると思っています。
あなたが黙ってやっていること。
先まわりして整えていること。
だれにも言わずに引き受けていること。
それはたぶん、ちゃんと届いています。
返事がないだけで、届いていないわけではありません。
そして、あなた自身も、だれかにとっての「届きましたよ」を渡せる側にいます。
今日の小さな一歩
3つ置いていきますね。ひとつでいいです。
① 今日「いいな」と思ったものについて、感想ではなく事実を伝えてみる。
「すごいですね」ではなく、「買いました」「読みました」「使っています」。
事実のほうが、ずっと遠くまで届きます。
② 身近な人の「ありがとう」に、ひとことだけ足してみる。
「ありがとう、おかげで今日ラクだった」。
なにが起きたかという事実を、そのまま渡すだけです。
③ 夜、あなた自身が受けとった「届いた証拠」を、ひとつ思い出して書いてみる。
頼られた。選ばれた。名前を呼ばれた。小さくていいです。
あなたも、だれかにたしかに触れています。
さいごに
人は、ほめ言葉で立ちあがるというより、「たしかに届いた」という手ざわりで立ちあがるんじゃないかと、ぼくは思っています。
だから今日は、受けとる側ではなくて、渡す側になってみてください。
その一言が、だれかのあしたの線を、すこしだけためらわないものにします。
だいじょうぶ。
ひとりに届けば、それでじゅうぶんなんですから。
