もう終わったことなのに。
頭のなかでは、まだ終わっていない。
あのときの自分の言葉。
相手の、ほんの少しだけ曇った表情。
「ああ言えばよかった」の、何十回目かのやり直し。
昼間はなんとかごまかせるのに、布団に入ったとたん、そこからが本番みたいにグルグルがはじまる。
そんな夜、ありませんか?
だいじょうぶ。
あなただけじゃないですからね。
それは、弱さじゃなくて誠実さの裏がわです
グルグル考えてしまう人は、たいてい、まじめな人です。
相手を傷つけたかもしれない、と思える人。
その場のちいさな空気の変化に、気づいてしまう人。
自分の言葉に責任を持とうとしてしまう人。
だからこそ、こころが何度も現場に戻って、検証をやり直そうとする。
あれは、あなたのこころが手を抜いていない証拠なんです。
ただ、その誠実さが、あなた自身にだけ厳しく向いてしまっている。
「もう考えるのやめよう」と自分に命令しても、たぶん止まりません。
「考えるな」というのは、こころにとっていちばんむずかしい命令ですから。
「あきらめる」は、投げ出すことじゃない
ぼくがずいぶん助けられた言葉に、「明らめる」があります。
あきらめる、の「諦」という字は、もともと「明らかに見る」という意味を持っていると言われています。
投げ出すことでも、負けを認めることでもない。
どうにもならないことを、どうにもならないと、ただ明らかに見る。
それだけのことなんです。
過ぎた時間は、巻き戻らない。
あの日の自分は、あの日の材料でしか判断できなかった。
そして、相手のこころの中身は、どれだけ再生しても、ぼくには見えない。
明らかに見ると、そこで力が抜けます。
がんばって前を向くのとは、ちょっとちがう。
握っていた手を、ゆっくり開いていく感じ。
ぼくは、布団のなかで何年も再生ボタンを押していました
ぼくは以前、事業をやっていて、そこからアディクションに沈み、しばらく家から出られなくなった時期があります。
あのころの夜のことは、いまでもよく覚えています。
やってしまったこと。
言ってしまったこと。
失ってしまったもの。
天井を見ながら、頭のなかで何度も再生する。
毎回おなじ結末なのに、なぜか毎回、今度こそちがう終わり方があるんじゃないかと期待して、また再生ボタンを押してしまう。
朝が来るのがこわいのに、朝が来るまで眠れない。
そのころのぼくは、グルグルすることが「反省」だと思っていました。
苦しんでいれば、少しは償いになるんじゃないか、と。
でも、あれは反省じゃなかったんです。
ただ、自分で自分を何度も同じ場所に連れ戻していただけでした。
忘れましょう、とは言いません
こういう話をすると、「気にしすぎ」「切り替えて」と言われがちですよね。
ぼくはそれを言いたいわけではありません。
忘れなくていいんです。
なかったことにしなくていい。
軽く扱えるようになる必要も、ありません。
そのできごとがあなたにとって重かったのは、あなたがそこに、ちゃんとこころを置いていたからです。
その重さまで否定してしまったら、あなたの誠実さごと切り捨てることになってしまう。
だから、目指すのは「消すこと」じゃなくて、「置く場所を決めること」だと、ぼくは思っています。
いつでも取り出せるけれど、四六時中ポケットに入れて持ち歩かなくてもいい場所へ。
なぜ、夜に来るのか
不思議なもので、グルグルはたいてい夜に来ます。
これはあなたの性格の問題ではなくて、たぶん、単純に材料の問題なんです。
昼のあいだ、こころは忙しい。
目の前の仕事、人の話し声、電車の音、次にやること。入ってくるものが多いので、こころは外を向いていられます。
でも夜になると、入ってくるものが一気に減る。
外を向く先がなくなったこころは、しかたなく、手持ちの在庫を引っぱり出してくる。
その在庫が、あの日のできごとなんですね。
つまり、夜のグルグルは「あなたが弱いから出てくる」んじゃなくて、「ほかにやることがないから出てくる」だけなんです。
そう思えると、すこし気が楽になりませんか?
敵じゃなくて、暇なんです。
だからぼくは、夜のこころには、なにか小さな仕事を渡してあげるのがいいと思っています。
考えるのをやめさせるのではなく、別の、もっとやさしい作業をひとつ渡す。
そのための3分が、これからお話しするワークです。
今日の小さな一歩:3分の「書き出して、閉じる」
紙とペンだけあればできます。
スマホのメモでもいいですが、できれば紙のほうが、あとで「閉じる」感覚がはっきりします。
① タイマーを3分にセットして、いま頭のなかでグルグルしていることを、そのまま書き出す。
きれいな文でなくていいです。単語でも、悪態でもいい。「あの言い方、まじで最悪だった」でいい。順番もいりません。3分だけ、こころの中身を全部そとに出す。
② 3分たったら、手を止めて、いちばん最後に一行だけ足す。
「これは、もう終わったこと」
うそでも構いません。納得していなくてもいい。
書くという行為そのものが、こころに「区切り」という形を渡してくれます。
③ 紙を閉じる(折る、ノートを閉じる、引き出しに入れる)。
そして、声に出さなくていいので、こころのなかで言う。「今日のぶんは、ここまで」
これで終わりです。
大事なのは、消すことじゃなくて「今日のぶん」と決めることです。
また明日グルグルしても、いいんです。そのときはまた3分だけ出して、また閉じる。
グルグルは、ゼロにするものじゃなくて、量を減らしていくもの。
つみへらしって、そういう感じだとぼくは思っています。
一気に手放そうとすると、しんどい。
今日のぶんだけ、ポーンと置いてみる。それを何日かつづけていくと、ある朝ふっと、再生の回数が減っていることに気づきます。
おわりに
眠れない夜のあなたは、だめな人じゃありません。
こころが、まだあの日の現場に立ってくれているだけ。
それだけ大事に思っていた、ということです。
だから、今夜は迎えに行ってあげてください。
「もういいよ、帰ろう」って。
焦らず、比べず、背伸びせず。
今日のぶんだけ、そっと閉じて。
あしたの朝が、ほんの少しだけしずかでありますように。
