日曜の夜。
スマホを手に持ったまま、あしたの朝に送るかもしれない連絡を、頭のなかで何度も書き直していませんか?
「体調がすぐれず」——いや、これだと大げさに聞こえるかな。
「すみません、本日はお休みをいただきます」——この「すみません」は、何回入れるのが正解なんだろう。
まだ送ると決めてもいない文章を、こんなに推敲している。
そんな夜、ありませんか?
だいじょうぶ。
あなただけじゃないですからね。
休むことより先に、謝る文章を考えている
よく考えると、ふしぎな話です。
しんどいのは自分のからだなのに、こころが向いている先は、自分のからだじゃない。
だれに迷惑がかかるか。
だれが代わりに動くことになるか。
あの人は、どんな顔をするか。
そもそも、先週の自分の働きぶりは、休むに値するものだったか。
休むより先に、審査がはじまってしまうんですね。
しかも審査員は、全員、自分です。
そして、たいていの場合、結論はこうなります。
「まあ、行けるか」
その「まあ、行けるか」を何十回か積み重ねたところに、ある日ボキッといく地点があります。
ぼくは、そこまで行った人間です。
ぼくには、休むという選択肢がありませんでした
事業をやっていたころのぼくは、休むことを、負けだと思っていました。
熱があっても行きました。
行けば、「よく来たな」「だいじょうぶか」と言われます。
その一言で、自分の値打ちを確認していたんだと思います。
休まないことでしか、自分を立たせておけなかった。
いまふり返ると、あれは責任感でも根性でもありませんでした。
ただ、休んだあとの自分がどう見えるかが、こわかっただけです。
その走り方の先で、ぼくはアディクションに沈みました。
気をまぎらわせるために手をのばしたものに、いつのまにか飲みこまれて、最後は部屋から出られなくなりました。
皮肉なもので、あのとき、ぼくは「休みます」という連絡すら、できなくなっていたんです。
一日休むための一通が送れなかった人間が、いきなり、何ヶ月も連絡なしで消えることになる。
ひとつだけ、はっきり言えることがあります。
早めに休む人より、休めないまま止まる人のほうが、ずっと大ごとになります。
いま、ぼくが関わっている場所のこと
ぼくはいま、障害のある人たちが働く場所に関わっています。
そこには、朝、「今日は休みます」という連絡が、けっこう入ります。
理由はいろいろです。
朝、からだが動かなかった。
眠れなかった。
気持ちが、どうしても上がってこなかった。
ぼくが大事にしたいと思っているのは、その連絡を受けたときの、こちら側の声のトーンなんです。
「わかりました。ゆっくり休んでくださいね。また来られるときに」
それだけ。
理由を掘らない。
電話の向こうで、ため息をつかない。
そして次に来たときに、その日のことをむし返さない。
「おはようございます」で、ふつうに始める。
たったそれだけのことなんですが、これがあるかないかで、人の背中の伸び方は、ぜんぜんちがってきます。
ぼくがつくりたいのは、こういうチームです
だれかを責めたいわけでも、どこかが間違っていると言いたいわけでもありません。
ただ、ぼくがつくりたい未来は、けっこうはっきりしています。
「今日は休みます」が、天気の話くらいの温度で言えるチーム。
言うのに、深呼吸がいらない。
文面を二十分も練らなくていい。
戻ってきた日に、うしろめたさを持って玄関をくぐらなくていい。
そういう場所を、ぼくは増やす側にまわりたいんです。
なぜかというと、休めないチームは、いちばん弱っている人から順に、こぼれていくからです。
そして、こぼれた人はたいてい、こう思います。
「ぼくが弱かったからだ」と。
ちがうんですよね。
弱かったんじゃなくて、休むための言葉が、その場所に用意されていなかっただけなんです。
休みやすさは、やさしさというより、設計です
ここは、ぼくがけっこう本気で考えているところです。
「休んでいいよ」と声をかけるだけでは、人は休めません。
ほんとうに休めるようにするには、休んでも回るようにしておく必要がある。
ひとりに全部を集めない。
「その人しか知らないこと」を減らしておく。
今日やらなくても死なない仕事を、ちゃんと今日やらない。
つまり、休めるチームというのは、こころの問題である前に、荷物の量の問題なんです。
ぼくがずっと大事にしている、つみへらしという考え方があります。
足すより、手放す。
これは個人の暮らしの話だと思われがちなんですが、じつは、はたらく場所にこそ効くと思っています。
抱えている荷物が多いほど、人は休めなくなる。
自分が抜けたら崩れる、という形になっているから。
だから、やさしいチームをつくるというのは、やさしい言葉を増やすことじゃなくて、ひとりあたりの荷物をへらしていくことなんじゃないかな、と。
やさしさは、気合いではつづきません。
つづくのは、仕組みのほうです。
あなたの職場が、いますぐ変わらなくても
こういうことを書くと、「うちはそんな職場じゃない」と、かえってしんどくなる方がいるかもしれません。
ぼくは、それを言いたいわけではありません。
明日から職場を変えてくださいとも、上司に掛け合ってくださいとも、思っていません。
そんな力が残っているなら、そもそも日曜の夜に、こんな文章は読んでいないはずですから。
だから、変えるのは、環境じゃなくて、手順のほうにしましょう。
いちばんしんどい朝に、いちばんむずかしい作文をさせない。
それだけで、休むまでの距離は、ずいぶん短くなります。
今日の小さな一歩:元気なうちに「休みます」の下書きを書いておく
3分でできます。
できれば、しんどくない今日のうちにやっておいてください。
① スマホのメモに、休むときの連絡文を一通だけ書いておく。
たとえば、こんな感じで十分です。「おはようございます。体調がすぐれないため、本日はお休みをいただきます。よろしくお願いいたします。」
② 「すみません」は、一回だけにする。
理由も、一行でいい。詳しく説明するほど、こころは削れます。あなたは容疑者ではないので、供述はいりません。
③ 送り先を、先に決めておく。
だれに送るか。だれには送らなくていいか。ここまで決まっていると、朝の判断がひとつも要らなくなります。
これだけです。
大事なのは、しんどい日の自分に、文章を考えさせないこと。
判断力がいちばん落ちている朝に、いちばん気をつかう作文をさせている。
それが、休めなさの正体だったりします。
書いたからといって、明日休まなくていいんです。
使わないまま一年たっても、まったく問題ありません。
ただ、「いざとなれば、送る文はもうある」と知っているだけで、日曜の夜の重さは、少し変わります。
おわりに
日曜の夜が重いのは、あなたが仕事から逃げたいからではありません。
ちゃんとやろうとしているからです。
迷惑をかけたくないと、本気で思っているからです。
その気持ちごと、責めないでいてほしいなと思います。
そしていつか、あなたのいる場所でも、「今日は休みます」が、天気の話くらいの温度で交わされますように。
ぼくは、そういう場所を増やす側で、こつこつやっていきます。
焦らず、比べず、背伸びせず。
休める人のほうが、長く歩けますからね。
