値札を見て、高いな、と思ったこと。
逆に、こんなに安くていいのかな、と思ったこと。
どちらも、ありませんか?
ぼくは最近、値札を見るたびに、その数字のうらがわのことを考えるようになりました。
そこには、一行も書かれていないものがあるからです。
一枚の絵が、商品になるまで
ぼくはいま、障害のある人たちが働く場所に関わっています。
そこでは、絵を描いたり、ものをつくったりしています。
たとえば、一枚の絵が商品になるまでに、どんな時間が流れているか。
ちょっとだけ、書いてみますね。
まず、紙を選びます。
そして、筆を持ちます。
——といっても、筆を持つまでに、時間がかかる日があります。今日は気持ちが乗らない、という日もある。
描きはじめます。
途中でやめる日もあります。次の日につづきを描くこともあれば、続かないこともある。
描いたら、乾かします。
この乾かしている時間、だれもなにもしていません。でも、これも工程です。乾かないまま次に進んだら、だめになりますから。
乾いたら、みんなで見ます。
これがいいね、こっちのほうが好きかも、と話します。
写真に撮ります。
光の入り方で、ぜんぜん色がちがって写るので、撮り直します。
データにします。
名前をつけます。名前をつけるのは、けっこう時間がかかります。
並べます。
そして、だれかが手に取ってくれるのを、待ちます。
この「待つ」も、ぼくは工程だと思っています。
何ヶ月も待つこともあります。待っているあいだ、その作品は、なにも生み出していないように見える。
ここまでぜんぶ通って、ようやく値札がつきます。
値札には、一行も書かれていない
その数字を見ても、いま書いたことは、ひとつも見えません。
筆を持つまでに時間がかかった朝のことも。
乾かしていた半日のことも。
名前を決めるのに悩んだ時間も。
値札は、時間を語らないんですね。
これはもう、そういうものなんだと思います。
それに、買う人がぜんぶを知る必要もない、とも思っています。
まず「いいな」で選んでいい。
先に時間の話を聞かされてから買うのは、それはそれで、ちょっと重いですから。
ただ、ぼくが言いたいのは、うらがわにはちゃんとある、ということです。
見えていないだけで、消えてはいない。
時間がかかることを、遅れとして数えたくない
ここは、ぼくがけっこう強く思っているところです。
早くつくれることには、たしかに価値があります。
それは否定しません。
でも、早い人がえらくて、時間がかかる人が劣っている、という数え方は、ぼくはしたくないんです。
だれかを責めたいわけでも、どこかのやり方を批判したいわけでもありません。
ただ、ぼくがつくりたいのは、こういう場所です。
一日に一本しか線が引けなかった人の、その一本が、ちゃんと工程として数えられる場所。
今日は手が動かなかった、という日も、その作品の一部として流れていく場所。
そういう数え方をする場所が、もっとあってほしい。
だから、ぼくは値札のうらがわの話を、しつこくしていきたいと思っています。
あなたの一日にも、うらがわがあります
これは、ものをつくる人だけの話ではありません。
今日あなたが出した資料には、その前に悩んだ三十分が書かれていません。
つくったごはんには、献立を考えながら帰った道のりが書かれていません。
送ったあの一通のメッセージには、書いては消した五回ぶんが、残っていません。
成果物というのは、いつも工程を落として届きます。
だから、受け取った人は、そのぶんを知らない。
これは、その人が冷たいわけじゃなくて、単純に、見えないからです。
問題は、そこじゃないんですよね。
問題は、いつのまにか、あなた自身まで、自分の工程を数えなくなってしまうことのほうです。
「こんなに時間をかけたのに、これだけか」
繊細ながんばり屋さんほど、この言葉を自分に言います。
こんなに悩んだのに、出てきたのはこれか。
人の三倍かかって、できたものは同じか。
だったら、かけた時間は、なんだったんだろう。
ぼくもずっと、そう思ってきました。
事業をやっていたころ、ぼくは工程をきらっていました。
できるだけ短く、できるだけムダなく、結果だけを出したかった。
迷った時間、やり直した時間、手が止まっていた時間。
ぜんぶ、なかったことにしたかったんです。
でも、なかったことにしようとするほど、それを引き受けている自分自身も、なかったことになっていきました。
数字になった部分だけが自分で、それ以外はゼロ。
そんな数え方で走っていたら、そりゃあ、どこかでプツンといきます。
ぼくはアディクションに沈んで、部屋から出られなくなりました。
なにも生み出せなかったあの時間は、あのころの数え方でいえば、まるごとムダです。
でも、いまのぼくは、あれも工程だったと思っています。
乾かしていた時間だったんだな、と。
今日の小さな一歩:3分の「工程の書き出し」
今日のおわりに、3分だけ。
① 今日やったことを、ひとつだけ選ぶ。
仕事でも、家のことでも、なんでもいいです。小さいほうがやりやすいです。
② そこに至るまでの工程を、3つだけ書く。
「考えた」「迷った」「やり直した」「気が進まなかったけど手をつけた」。ぜんぶ工程です。手が止まっていた時間も、堂々と入れてください。
③ 最後に一行だけ書いて、閉じる。
「ここまでやった」
これだけです。
成果を評価しなくていいんです。
うまくいったかどうかも、書かなくていい。
やるのは、うらがわを自分で見ておく、ということだけ。
だれも見てくれなくても、あなただけは知っている。
それだけで、あしたの手つきが、少し変わります。
おわりに
値札の数字は、時間を語りません。
でも、うらがわには、いつも時間があります。
あなたの今日にも、だれにも見えていない工程が、たくさんあったはずです。
それは、ムダではなくて、うらがわです。
もし気が向いたら、ぼくたちの作品が並んでいる場所を、そっとのぞいてみてください。
SUZURI https://suzuri.jp/lifeartlab
焦らず、比べず、背伸びせず。
乾くのを待つ時間も、ちゃんと工程ですからね。
