休みが近いのに落ちつかないのは、あなたが「休み下手」だからじゃない

もうすぐ連休。

うれしいはずなのに、なんだかこころが落ちつかない。

そんな感じ、ありませんか?

なにか予定を入れたほうがいいんじゃないか。

このまま何もしないで終わったら、もったいないんじゃないか。

まだ休みは始まってもいないのに、もう「うまく過ごさなきゃ」と焦っている。

そんなあなたへ。

だいじょうぶ、あなただけじゃないですからね。

わくわくと不安が、同時に来る

繊細ながんばり屋さんに多いのが、これです。

たのしみにしている気持ちと、こわがっている気持ちが、まったく同じタイミングでやってくる。

外に出たいのに、出たあとの疲れが先に見える。

人に会いたいのに、会ったあとの反省会が先に浮かぶ。

だから、ソワソワする。

これは、あなたの性格が面倒くさいからではなくて、いろんなものが同時に見えてしまうから起きることなんだと思います。

見えるものが多い、というのは、しんどさでもあり、あなたのやさしさの出どころでもあります。

もうひとつ、こんなこともあります。

休みが近づくと、こころのどこかで「この休みで、いろいろ立て直さなきゃ」と思ってしまう。

たまった家事。

先延ばしにしていた連絡。

ずっと読めていない本。

なんとなく決まらない、これからのこと。

ふだんは見ないようにしていたものが、連休というまとまった時間を前にして、いっせいに顔を出してくるんです。

だからソワソワするんですね。

休みが近いから落ちつかないのではなくて、休みが近いと、宿題が見えるから落ちつかない。

そう考えると、あのソワソワは、なまけ心とはむしろ正反対のものだとわかります。

まじめな人ほど、休む前に落ちつかない。

ぼくが、休みをいちばんこわがっていたころ

かつてのぼくは、休みが本当にこわかったです。

事業をやっていたころ、手を止めた瞬間に、じぶんの価値がゼロになるような気がしていました。

だから、休みも予定でびっしり埋めました。

朝から人と会って、夜まで動いて、帰ってきてまた作業をして。

「充実してるね」と言われるたびに、ちょっと安心していた。

いま思うと、あれは休んでいたんじゃなくて、休むのがこわくて走っていただけなんです。

止まると、聞こえてしまうものがあった。

このままで本当にいいのか、という声。

だれかに助けてと言いたい、という声。

その声を聞かないために、アクセルを踏みつづけた。

そして、その踏み方が、やがてアディクションにつながっていきました。

気をまぎらわせるためのものが、いつのまにか、じぶんを飲みこんでいた。

最後は、部屋から出られなくなりました。

皮肉なことに、ぼくが人生ではじめて「完全に休んだ」のは、そこからです。

自分で選んだのではなく、動けなくなって、強制的に止められた。

そのとき、ようやく聞こえてきたんです。

ずっと聞かないふりをしていた、じぶんの声が。

予定を埋めることは、悪いことじゃない

だからといって、「予定を入れずに何もしないのが正解です」と言いたいわけではありません。

人に会うのがたのしい人は、会えばいい。

出かけたい人は、出かければいい。

問題なのは、予定の数ではなくて、その予定が「したいこと」から来ているのか、「埋めなきゃ」から来ているのか、というところです。

同じ一日でも、こころの重さがまるでちがう。

したいことから来た予定は、終わったあとに、じんわり残ります。

埋めなきゃから来た予定は、終わったあとに、ぐったり残ります。

そして、ソワソワの正体はたいてい、後者が混ざっているサインなんです。

つみへらし、という考え方

ぼくの土台にあるのは、つみへらし、という考え方です。

足すより、手放す。

こころが落ちつかないとき、ぼくらはつい「なにかを足して安心しよう」とします。

予定を足す。買い物を足す。情報を足す。

でも、ソワソワは足しても消えません。

むしろ、足すほど増えます。

減らしたときにだけ、すきまができて、そこにこころが戻ってくる。

これは、意志の強さの話ではありません。

やり方の話です。

がんばって落ちつこうとすると、たいてい失敗します。

落ちつこうとしている時点で、こころは動いているので。

だからぼくは、気持ちのほうをいじるのをやめました。

そのかわりに、紙の上でものを減らす。

手を動かして、目に見えるかたちで、ひとつ減らす。

すると、あとからこころのほうが、ゆっくり追いついてくるんです。

禅の修行が、坐禅だけでなく、掃除や食事といった所作でできているのも、たぶんこういうことなんだと思います。

こころを直接どうにかしようとしない。

からだと、手もとを、先に整える。

今日の小さな一歩:連休を3つ書いて、2つ消す

紙とペンで、3分だけ。

① 連休にやりたいことを、思いつくまま3つ書く。

② そのうち、「べき」や「だれかのため」で入っているものに、線を引く。

(線を引く=やらないと決める、ではなく、いったん脇に置く、くらいの気持ちで)

③ 残ったものだけを、ゆるく持っておく。

3つ書いたら2つ消してもいい、というつもりでやってみてください。

減らしたぶんは、空白として残ります。

その空白を、無理に埋めなくてだいじょうぶ。

空白は失敗ではなくて、こころが戻ってくるための場所ですから。

もし、消すのがこわかったら、それも収穫です。

「ああ、ぼくは空白がこわいんだな」と気づけたことのほうが、じつは大きい。

おわりに

うまく休めなくても、いいんです。

休み方がへたなのではなくて、ずっと止まらずにがんばってきた人ほど、止まり方を教わる機会がなかっただけ。

連休のあいだに、ひとつでも「なにも決めていない時間」があったら、それはもう十分な成果です。

焦らず、比べず、背伸びせず。

ソワソワしたまま、連休に入ったってだいじょうぶ。

そのソワソワごと、あなたを連れていってあげてくださいね。

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