「なにもしない」を、予定として書き込んでみる

連休のまんなかです。

スマホをひらいて、たのしそうな写真がならぶのを見ながら、じぶんはなにもしていないな、と少し焦っていませんか?

せっかくの休みなのに。

もったいないことをしているんじゃないか。

そんなあなたへ。

だいじょうぶ、あなただけじゃないですからね。

予定も、ひとつの持ちものです

ぼくはふだん、手放すこと、減らすことについて書いています。

服を減らす。

「いつか使う」の箱をひとつ開ける。

使っていないものを、そっと送りだす。

でも、持ちものというのは、目に見えるモノだけじゃないんですよね。

カレンダーにならんだ予定も、あなたが持っているものです。

しかも、これがけっこう重い。

クローゼットの服は、たまにしか目に入りません。

でも予定は、朝いちばんに見て、一日じゅう頭のすみに置きつづけることになる。

だから、部屋を片づけてもすっきりしない、ということが起きます。

減らす場所が、そこじゃなかっただけなんです。

空(くう)ということ

禅には、空(くう)という考え方があります。

なんにもない、という意味に聞こえますが、ぼくはこれを「決まりきっていない」という意味で受けとっています。

なにも決まっていないから、なんにでもなれる。

器がありがたいのは、器そのものではなくて、まんなかの空っぽの部分があるからです。

空っぽだから、なにかを入れられる。

予定でぎっしり埋まった一日は、りっぱなお皿にたくさん盛りつけた状態です。

見た目は充実している。

でも、そこにはもう、なにも入りません。

思いつきも、寄り道も、ふと会いたくなった人のことも。

おもしろいもので、いい思いつきというのは、たいてい予定のない時間にやってきます。

風呂に入っているとき。

歩いているとき。

なにも考えていないつもりの、あの数分。

つまり、余白は「なにも起きていない時間」ではなくて、「起きるための時間」なんですよね。

予定を詰めるほど成果が出そうな気がするのに、実際はその逆になることがあるのは、たぶんこのせいです。

盛りつけを増やしすぎたお皿には、いちばん大事なひと切れが乗らない。

ぼくの人生でいちばん、予定がなかった時期

かつてのぼくは、予定が埋まっていることが、そのままじぶんの価値だと思っていました。

事業をやっていたころ、手帳が真っ黒なほど安心した。

でも、その走り方の先で、ぼくはアディクションに沈んで、部屋から出られなくなりました。

引きこもっていたあいだ、ぼくの予定はゼロです。

一日じゅう、なんの約束もない。

だれからも呼ばれない。

明日やることが、なにもない。

当時のぼくは、それを「無」だと思っていました。

価値のない、空白の時間だと。

でも、いまふり返ると、ちがうんです。

あの空白がなかったら、ぼくは抱えていたものを降ろせなかった。

ぎっしり詰まった手帳の上には、新しいものは何ひとつ乗らなかったはずです。

空白はこわい。

これは本当です。

でも、空白でしか埋まらないものが、たしかにあるんです。

「なにもしない」は、サボりではありません

こう書くと、「じゃあ休みは家で寝てましょう」という話に聞こえるかもしれませんが、そうではありません。

出かけたい人は、出かけていいんです。

ぼくがお伝えしたいのは、「なにもしない時間」を、余りものとして扱わないでほしい、ということです。

余りものにしておくと、それはいつか、何かに食べられます。

急な用事、家族の頼まれごと、なんとなく見てしまう画面。

だから、余りものではなく、はじめから「持ちもの」として置いておく。

予定表に、ちゃんと名前をつけて書き込む。

そうすると不思議なもので、その時間は守られます。

名前がついていないものは、守れないんです。

これは、モノの片づけとまったく同じでした。

「置き場所が決まっていないもの」から順に散らかっていくように、「名前のついていない時間」から順に、なくなっていく。

だからぼくは、カレンダーに堂々と「なにもしない」と書きます。

人に見られたら、ちょっと恥ずかしい。

でも、書いてある日は、本当にその時間が残るんです。

そしてもうひとつ。

これは、まわりに対しての線引きにもなります。

「その日は予定があるので」と言えるようになる。

じぶんとの約束に、他人との約束と同じ重さを持たせる。

それだけのことなのに、これがなかなかできないんですよね。

今日の小さな一歩:カレンダーに「なにもしない」と書く

3分でできます。

① スマホのカレンダーをひらく。

② 連休のどこかに、2時間だけ「なにもしない」と入力する。

(1時間でもいい。30分でもいい)

③ その時間になったら、スマホを別の部屋に置く。

やることは、これだけです。

その2時間、なにをしてもいいし、なにもしなくてもいい。

ぼーっとしていても、途中で寝てしまってもいい。

ひとつだけルールをつけるなら、「あとで振り返らない」こと。

有意義だったかどうかを採点した瞬間に、その時間はまた予定に戻ってしまいますから。

おわりに

なにもしなかった日を、ムダな日と呼ばなくていいんです。

器のまんなかが空っぽなのは、欠けているからじゃない。

そこに、これから何かが入るからです。

連休の残りに、ぽっかりした時間がひとつでもあったなら、それはもう、じゅうぶんに上等な一日です。

焦らず、比べず、背伸びせず。

なにもしない時間を、あなたの持ちものとして。

そっと、たいせつに抱えていてくださいね。

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