Blog — Notes from the Lab
Notes, quietly kept.
モノ
お知らせも、エッセイも、日々のちいさな歩みも。
ここに、ひとつずつ置いていきます。

「なにもしない」を、予定として書き込んでみる
連休のまんなかです。 スマホをひらいて、たのしそうな写真がならぶのを見ながら、じぶんはなにもしていないな、と少し焦っていませんか? せっかくの休みなのに。 もったいないことをしているんじゃないか。

ふえたのはモノじゃなくて、選択肢だった——選ぶことに、こんなに疲れていたなんて
クローゼットを開けて、着るものがない気がする。 冷蔵庫を開けて、食べたいものがない気がする。 ちゃんと、あるんです。 あるのに、決まらない。 そして扉を閉めたあと、なぜかどっと疲れている。

「いつか使う」の箱を、ひとつだけ開ける——手放せない日の、3分の実践
クローゼットの奥に、開けていない箱がありませんか? 中身は、だいたい覚えている。 いつか使うかもしれないもの。 高かったもの。 もらったから、捨てにくいもの。 季節の変わり目に、「そろそろ整理しなきゃ」と思って、 扉を開けて、閉じる。

衣替えの前に、こころも軽く。この夏いちども袖を通さなかった服に、聞いてみたいこと
クローゼットをあけるたび、「着ていない服」とふと目が合って、そっと閉じてしまうことはありませんか? 夏の終わりのこの時期。そろそろ衣替えが頭をよぎるころです。 でも、なんだか腰が重い。

増えたモノは、増えた不安のかたち。〜部屋とこころの、ふしぎな連動の話〜
ふと部屋を見わたして、「あれ、こんなにモノあったっけ」と思ったことはありませんか? 買った覚えはあるけれど、使った覚えはあまりないモノたち。 いつか使うかも、の「いつか」が、何年も来ていないモノたち。

実家のモノと、思い出の手放し方──捨てるのはモノで、思い出ではないから
実家に帰って、昔の自分の部屋の押し入れを開けて、手が止まってしまったことはありませんか? 卒業アルバム。 古い手紙。 子どものころのおもちゃや、賞状や、部活の道具。

持たない身軽さが、夏をらくにする。モノを減らしたら、部屋に風が通った話
かつてのぼくの部屋は、モノであふれていました。 読まない本。 着ない服。 「いつか使うかも」の箱たち。 とくに、こころが弱っていた時期ほど、モノは増えていきました。

「もったいない」が、こころを重くしているとき。
クローゼットの服、頂きもののお皿、もう何年も読んでいない本、奥にしまった電化製品。 手放そうとした瞬間、頭の中で誰かが「もったいない」と言う。 そして、手のひらに乗せたモノを、また元の場所に戻す。

引き出しのいちばん奥にある「予備の予備」。
キッチンの引き出しを開ける。 洗面台の下の棚を開ける。 押入れのいちばん奥のケースを引き出す。 そこにある、「念のため」のストック。 電池、洗剤、シャンプー、調味料、文房具、紙袋。

クローゼットの中の「いつかの自分」を手放す。
週末の朝、クローゼットの扉を開けた瞬間。 ハンガーにかかった服の数だけ、過去のぼくの「いつか」が、ぶら下がっているように見えました。 「またこれが着られる体型に戻ったら」 「あの場所にもう一度行くときに」 「そろそろ似合…

いつか使うを手放すと、いまのジブンに戻れる
「いつか、使うかもしれないから」。 そうつぶやいて、引き出しの奥に、そっと戻したモノ。ありませんか。 何年も開けていない箱。一度も着ていない服。読みかけのまま積まれた本。

通知をひとつ消すだけで、こころに余白がもどってくる
スマホが鳴るたびに、こころが、ピクッと反応していませんか。 通知の赤い丸が、画面のあちこちに点いていて。見なきゃ、返さなきゃ、追いつかなきゃ。そう思いながら、なんだか、いつも追われている感じがする。