実家に帰って、昔の自分の部屋の押し入れを開けて、手が止まってしまったことはありませんか?
卒業アルバム。
古い手紙。
子どものころのおもちゃや、賞状や、部活の道具。
「片づけなきゃ」と思うのに、ひとつ手に取るたびに思い出があふれてきて、気づけば夕方。
お盆のこの時期、そんな経験をする方も多いんじゃないかと思います。
きょうは、実家のモノとの向き合い方について、書いてみますね。
◆芯になる言葉
先に、いちばん伝えたいことを置いておきます。
手放すのはモノであって、思い出ではありません。
思い出は、モノのなかに住んでいるのではなくて、あなたのなかに住んでいます。
モノは、思い出の「入れ物」です。
入れ物を手放しても、なかみは、ちゃんとあなたのこころに残ります。
◆ぼくも、捨てられなかった
つみへらし──足すより手放す暮らしを始めたころ、ぼくもモノを手放すたびに、自分の一部がちぎれるような気がしていました。
これを捨てたら、あのころの自分まで消えてしまうんじゃないか。
これを手放したら、大切な時間を裏切ることになるんじゃないか。
そんなふうに感じて、箱の前で長いこと固まっていたことがあります。
手に取っては、戻して。
また手に取っては、戻して。
「これはまだ使うかもしれない」
「これは高かったから」
「これは、あの人にもらったものだから」
手放せない理由なら、いくらでも湧いてきました。
いま思えば、あのときのぼくが握りしめていたのは、モノそのものではなくて、「モノを持っていれば、過去の自分を失わずにすむ」という安心感だったのだと思います。
どん底から立ち直っていく途中のぼくにとって、昔の品々は、「ちゃんとやれていたころの自分」の証拠品みたいなものでしたから。
でも、勇気を出してすこしずつ手放してみて、分かったことがあります。
手放したあとに残ったのは、空っぽな気持ちではなくて、身軽さでした。
そして、思い出は、消えませんでした。
モノがなくなっても、あの日の景色も、うれしかった気持ちも、ちゃんとこころのなかにある。
むしろ、モノの山に埋もれていたときよりも、大切な思い出だけが、くっきりと見えるようになったのです。
不思議なことに、モノを手放すたびに、こころのなかの風通しも、すこしずつよくなっていきました。
「持っていなきゃ」という小さな緊張が、ひとつずつほどけていく感じ。
つみへらしは、片づけの技術というより、こころの深呼吸なのかもしれません。
◆手放すための、小さな儀式
とはいえ、いきなりポーンと手放せたら、苦労はしませんよね。
ぼくがおすすめしたいのは、あいだに「儀式」をはさむことです。
たとえば、写真に撮ってから手放す。
モノは手放しても、姿は残せます。
見たくなったら、いつでも見返せます。
たとえば、「ありがとう」と声をかけてから手放す。
ちゃんとお別れをしたモノは、あとを引きにくいものです。
捨てるのではなくて、卒業してもらう。
そんなイメージで、モノとの関係をひとつずつ結び直していく感じです。
実家のモノの場合は、もうひとつ、おすすめがあります。
親やきょうだいが近くにいるなら、手放す前に、そのモノの思い出話をひとつだけしてみること。
「これ、覚えてる?」
そのひとことから始まる会話ごと、モノからの最後の贈り物です。
思い出話をしてもらったモノは、こころのなかの棚に、ちゃんとしまい直されます。
だから安心して、入れ物のほうは、手放せるようになるんですね。
◆手放せない日が、あってもいい
ここまで書いておいてなんですが、無理に手放さなくてもいいのです。
「まだ持っていたい」も、立派な答えです。
大切なのは、手放すことそのものではなくて、モノと自分の関係を、一度ていねいに見つめること。
見つめた結果「残す」と決めたなら、それはもうガラクタではなくて、宝物です。
手放せなかった自分を、どうか責めないでくださいね。
それに、モノへの気持ちは、季節のように変わっていきます。
去年は手放せなかったモノが、今年はすっと手放せたりする。
その逆も、あります。
だから「いま決められない」は、「一生決められない」ではありません。
保留も、立派な決断のひとつです。
◆今日の小さな一歩
もし今回の帰省で片づけをするなら、「ひとつだけ」から始めてみてください。
①「これはもう卒業かな」と思うモノを、ひとつだけ選ぶ
②写真に撮る
③「ありがとう」と声をかけて、手放す
ひとつも選べなかったら、押し入れを開けて、眺めるだけでも花マルです。
眺めながら、「これ、懐かしいなあ」とつぶやくだけで、じつは片づけは始まっています。
モノと自分の関係を見つめること。
それが、いちばん大切な最初の一歩ですから。
思い出は、逃げません。
あなたのなかに、ちゃんといますから。
焦らず、比べず、背伸びせず。
モノとの関係も、すこしずつ、すこしずつ。
