クローゼットの中の「いつかの自分」を手放す。

週末の朝、クローゼットの扉を開けた瞬間。

ハンガーにかかった服の数だけ、過去のぼくの「いつか」が、ぶら下がっているように見えました。

「またこれが着られる体型に戻ったら」

「あの場所にもう一度行くときに」

「そろそろ似合いそうな歳になったら」

そんな「いつか」のために、もう何年もそこにいる服たちのこと。

そんなあなたへ。

今日は、ちょっとだけ手のひらを開いてみる土曜日にしませんか。

ぼくも、ずいぶん長いあいだ、クローゼットの中に「過去の自分」と「いつかの自分」を同居させていました。

体型が変わった頃に買った服。気合いを入れて高かったコート。ある人と一緒に選んだシャツ。

どれもこれも、今のぼくが着るためのものではなく、もう戻ってこない誰かの面影を、布の形でとっておいているような感覚でした。

引きこもりから少しずつ起き上がれるようになった頃、ぼくは思いきって、その服たちと向き合いました。

出来事を語ろうとすると涙が止まらない服もあったし、なんでこんなもの買ったんだろうと笑える服もあった。

そして、なんとなくなんとなく、と理由を言葉にできないまま、長居していた服がいちばん多かったのです。

『本来無一物』(ほんらいむいちもつ)。

本来、わたしたちはなにも持っていないところから始まっている、という禅の言葉です。

持っていることが普通なんじゃない。あえて持ち続けることを、自分で選び直す。

だからこそ、手放すことは「失う」ではなく、「選び直す」になる。

今日の小さな一歩は、たった3着でいい。

クローゼットを開けて、3着だけ取り出してみてください。

その服を手のひらにのせて、自分に問いかけます。

「これは、いまのぼくが、いまのぼくのためにとっておきたい?」

答えがYesなら、そのまま戻していい。

答えが「いつかのために」だったら、まずひとつだけでも、紙袋に入れてみる。

寄付でも、リサイクルでも、捨てるでもいい。

今日決めなくていい。袋に入れて、玄関のすみに置くだけで、ぼくのこころは少しだけ軽くなりました。

過去の自分にも、いつかの自分にも、ちゃんと「ありがとう」と「おつかれさま」を伝えて。

今日のぼくが着る服だけで、クローゼットを満たしていく週末を、はじめてみませんか。

焦らず、比べず、背伸びせず。

過去の自分と仲直りする、しずかな土曜日に。

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