家で、さいごまで。——その願いのそばで、ぼくが教えてもらったこと

「あなたは、どこで過ごしたいですか」

そう聞かれて、すぐに答えが出てくる人は、そんなに多くないのかもしれません。

考えたことがないから、じゃないと思うんです。

考えると、ちょっとこわいから。

だいじょうぶ。

きょうは、こわいほうの話はしません。

今日は敬老の日ですね。

おじいちゃん、おばあちゃん。お父さん、お母さん。

あるいは、いつかの自分。

そのだれかが「どこで、どんなふうに過ごすんだろう」と、そっと思い浮かべてみる。

それくらいの、やわらかい日にできたらいいなと思って、この文章を書いています。

暮らしのつづきに、おじゃまする

ぼくはいま、在宅医療の現場に携わっています。

医療のことを、ぼくが専門家の顔をして語ることはできません。

ぼくがしているのは、その現場をうしろから支える側の仕事です。

それでも、そばにいるだけで、教えてもらうことがたくさんありました。

いちばん大きかったのは、これです。

家というのは、治療の場所ではなくて、暮らしの場所なんだということ。

冷蔵庫にはってある、お孫さんの絵。

決まった場所に置かれた湯呑み。

つけっぱなしのテレビ。

「そこ、またぎにくいのよ」と笑いながら言う、廊下の段差。

そういうものの、まんなかに、その人がいる。

病名でもなく、年齢でもなく、できなくなったことの数でもなく。

「この湯呑みが好きな人」として、そこにいる。

それを見るたびに、ぼくのこころは、すこししずかになります。

ぼくにとっての「家」は、隠れる場所だった

すこしだけ、ぼく自身の話をさせてください。

ぼくは若いころに起業して、そのあと、アディクションに飲み込まれました。

そこから引きこもって、家からほとんど出られない時期があります。

あのころのぼくにとって、家は「隠れる場所」でした。

だれにも見られたくない自分を、押し込めておく箱。

カーテンを閉めて、昼と夜の境目もあいまいにして。

「ここにいるかぎり、だれもぼくを裁かない」

そう思っていました。

そう思いながら、いちばん自分を裁いていたのは、ぼく自身だったんですけれど。

だから正直に言うと、はじめて在宅の現場に関わったとき、ぼくはすこしだけ身構えたんです。

家にずっといるって、しんどいことなんじゃないのかな、と。

でも、ちがいました。

そこで見た「家」は、閉じ込める箱じゃなかった。

その人が、その人のままでいられる場所でした。

同じ「家」なのに。

ちがうのは、たぶん、選んでいるかどうかなんだと思います。

ぼくは、逃げ込んでいた。

その方たちは、選んでいた。

おなじ場所でも、自分で選んだ場所は、ほんのすこしだけ呼吸がしやすい。

「選べる」ということ

だから、ぼくの願いは、ひとつだけなんです。

選べる社会であってほしい。

家で過ごしたい人が、家にいられる。

やっぱり病院のほうが安心だという人は、そちらを選べる。

途中で気が変わったら、変えていい。

どれが正しいという話ではありません。

どれがいいとも、ぼくには言えません。

比べるものじゃないと思うから。

ただ、「そういう過ごし方もあるらしいよ」ということを知らないまま、道が一本しかないと思い込んでしまうのは、すこしさみしいなあ、と。

これは、だれかを責めたい話ではありません。

現場には、まっすぐな人がたくさんいます。ほんとうに、たくさん。

だからぼくは、どこかを指さすかわりに、こう言うことにしています。

ぼくは、こういう未来をつくりたい。

その人が、その人の湯呑みのそばで、さいごまでその人でいられる。

そういう選択肢が、あたりまえに机の上に並んでいる。

そんな社会のはしっこに、ぼくは関わっていたい。

聞けないままでも、いいんです

ここで、あなたのことを。

もしかしたら、あなたにも大切な人がいて。

「聞いておいたほうがいいんだろうな」と思いながら、聞けずにいるかもしれません。

縁起でもない、って言われそうで。

自分のほうが泣いてしまいそうで。

そんな話をする空気じゃなくて。

いいんですよ、聞けなくて。今日は。

繊細な人ほど、相手のこころの中まで先に想像してしまうから、ひとこと口に出すのに、人の何倍もエネルギーがいるんです。

それは、やさしさです。

弱さじゃ、ないんです。

今日の小さな一歩

だから今日は、これだけ。3分でできます。

① 大切な人の顔を、ひとりだけ思い浮かべる

② その人の「定位置」を思い出す(いつも座る椅子、いつもの湯呑み、いつものテレビの音量)

③ こころのなかで、ひとこと「いつも、ありがとうございます」と言う

それだけです。

電話しなくていい。会いに行かなくていい。

思い出す、それだけで、今日はじゅうぶん。

もし余力があれば、もうひとつ。

自分自身に、そっと聞いてみてください。

「あなたは、どこにいるときが、いちばん自分でいられる?」

答えが出なくてもいいんです。

問いを置いておくだけで、こころは勝手に、しずかに考えはじめますから。

さいごに

いのちの長さは、ぼくたちには決められません。

でも、「どこで、だれと、どんな湯呑みで」は、すこしだけ選べるかもしれない。

その「すこしだけ」を、あきらめずに置いておきたいんです。

焦らず、比べず、背伸びせず。

今日は、大切な人の定位置を、そっと思い出すだけで。

だいじょうぶ。

あなたのそのやわらかい想いは、ちゃんと、まっすぐ届いていますからね。

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