朝、鏡の中の自分を見て、ふっと出てくる「自分なんて」。
ちょっとしたミスをしたあとに、頭の中で何度もリピートされる「自分なんて」。
誰かに褒められた瞬間にすら、つい返してしまう「いやいや、自分なんて」。
そんな水曜日のこと、ありませんか?
そんなあなたへ。
だいじょうぶ、あなただけじゃないですからね。
ぼくは、長らく、「自分なんて」を口ぐせにして生きてきました。
「自分なんて」は、ぼくにとっては謙遜の制服のようなものでした。
これを着ておけば、誰にも怒られないし、誰のこころも傷つけない。
ただ、その制服を着続けるうちに、ぼくは「自分なんて」と思い込まされている、自分のこころの存在を、長らく忘れていたんです。
口ぐせは、こころの設定値を、少しずつ書き換えていきます。
「自分なんて」と言うたびに、こころの奥のいちばん深いところで、
「うん、その通りだね」と頷くもうひとりの自分が、育っていく。
そして気づいたときには、外側の誰かに何かを言われる前に、
自分自身がいちばん先に、自分にダメ出しをするようになっていました。
引きこもりから少しずつ起き上がれた時期、ぼくが取り組んだのは、
「自分なんて」を、別の言葉に置き換える、という地味な練習でした。
『自灯明』(じとうみょう)。
自分のこころを、自分の灯火として、自分で照らして生きていく、という禅の言葉です。
最初の灯りは、自分でつけてあげるしかない。
「自分なんて」と言いながら、自分の灯りを消す側にまわり続けたら、こころは一生暗いままなんですね。
今日の小さな一歩は、ふたつだけ。
ひとつ、「自分なんて」が口から出そうになった瞬間、いちど飲み込む。
完璧に止めなくていい。気づくだけでいい。
「あ、いま、自分の灯りを消そうとしたな」と、こころの中で気づくだけ。
ふたつ、誰かに褒められたとき、「ありがとうございます」だけで返す練習。
「いやいや、自分なんて」を、その日いちにちだけ、お休みする。
それだけで、自分のこころに、ほんの少し新しい風が入ります。
責めなくていい。
焦らなくていい。
比べなくていい。
「自分なんて」と言わない日が、月に一日あるだけで、こころの灯火は、ゆっくり明るくなっていきますからね。
焦らず、比べず、背伸びせず。
今日のあなたは、ちゃんと、自分の灯りを灯す側にいられますからね。
