土用の丑の日。「滋養」って、なんだろう。

7月24日、土用の丑の日。

うなぎを食べる日、と決まっている、夏の節目の日。

スーパーの売り場には、湯気が立ちそうな蒲焼きが並んで、家の冷蔵庫にもひとつ、用意してある人もいるかもしれません。

でも、今年のあなたは、本当にうなぎが食べたい体調ですか?

そんなあなたへ、ぼくがあなたに渡したい問いは、こちらです。

今年のあなたにとって「滋養」って、なんだろう。

ぼくは長らく、「滋養」と「栄養」を、ごちゃまぜにして生きていました。

身体に必要な数字としての栄養はちゃんと取っているつもりでも、

こころと身体に、ふんわりとした「あぁ、生き返った」を渡してくれる滋養は、

意外と、ぼくの暮らしのなかから抜け落ちていたんです。

うなぎが必ずしも、いまのあなたの滋養とは限らない。

誰かにとっては、汗をかいたあとの一杯の麦茶のほうが、ずっと滋養です。

誰かにとっては、お風呂上がりの冷たい果物。

誰かにとっては、お母さんが昔よく作ってくれた、煮物のひと皿。

誰かにとっては、エアコンの効いた部屋での、何もしない30分。

滋養は、人それぞれ。

『喫茶喫飯』(きっさきっぱん)。

ただ、いま目の前のお茶を飲み、いま目の前のごはんを食べる、という禅の在り方です。

食べているとき、こころが「あぁ、生き返るな」と言える、そのひとときが、ほんとうの滋養。

高い食材でも、量でもない。「いま、ここで、味わっている」、それがすべて。

今日の小さな一歩は、紙にひと言、書くことです。

「いまのぼくが、こころから滋養だと感じる、ひとつのものは?」

うなぎでも、麦茶でも、家族と食べる豆腐でも、ひとりで食べるアイスでもいい。

書いたら、今日の夜、無理してその通りに食べる必要はありません。

ただ「ぼくの滋養はこれだな」と知っておくだけで、

次に身体がしんどくなったとき、自分にちゃんと処方箋を出せるようになります。

季節の節目は、世間が決めたものを食べる日ではなく、

自分の身体に「いまのあなたの滋養は何ですか」と聞く日、にしていきましょう。

焦らず、比べず、背伸びせず。

今日の身体が喜んでくれる、ひとつを選んでいきましょうね。

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