『主人公』──ほんとうの自分に呼びかける。

週末の朝、誰の声にも邪魔されない、ほんの数十分。

鏡の前に立っていても、ぼくたちは、いまの自分の顔を、ちゃんと見ていないことが多い気がします。

予定。返事。やるべきこと。誰かの顔色。

それらを毎日もちあわせていると、自分のいちばん深いところに「ほんとうの自分」がいることを、ふっと忘れがちです。

そんなあなたへ。

今日は、禅僧がやっていた、いっけん奇妙な習慣をひとつ、お裾分けします。

中国・宋の時代の禅僧、瑞巌彦和尚(ずいがんげんおしょう)は、毎朝、自分にこう呼びかけていたそうです。

「主人公。」

すると、自分自身が「はい。」と答える。

さらに「目を覚ましているか?」「人にだまされるなよ。」と続ける。

独り言のような、自問自答のような、ちょっとふしぎな朝のルーティン。

これが『主人公』(しゅじんこう)という禅語の元になっています。

ぼくたちの内側には、外の役割やふるまいに振り回されない、ほんとうの自分=主人公がいる。

だから、毎日その主人公に、自分の声で呼びかけてあげなさい、という教えです。

ぼくは、この話を最初に読んだとき、正直、ちょっと笑ってしまいました。

鏡に向かって「主人公」と呼ぶの? はい、と答えるの?

ふしぎを通り越して、滑稽な感じがする。

でも、引きこもりから少しずつ立ち上がりはじめた時期、藁にもすがる思いで、朝にひとりで試してみたんです。

洗面所の鏡に映った自分を見て、声に出さず、こころのなかで「主人公」と。

すると、ふしぎなことに、いつのまにかぼくのこころが「はい」と答えていた。

そして、自分のこころの奥に、もうずいぶん長く呼びかけていなかった、まだ生きている小さな灯りが、見えた気がしたんです。

今日の小さな一歩は、鏡の前で、心の中だけでもいい、たった一回だけ。

「主人公」

(自分のこころの中で)「はい」

「目を覚ましているか」

「(できれば)はい」

「人にだまされるなよ」

「(できれば)はい」

声に出してもいい。出さなくてもいい。

ばかばかしいと思っても、笑いながらやってみてください。

主人公は、毎日、外の世界の役割に追われて生きています。

週に一度くらい、自分の名前のいちばん深いところに呼びかけてあげるだけで、

こころの中の主人公は「呼んでくれてありがとう」と、また光を取り戻していきます。

焦らず、比べず、背伸びせず。

週末の朝は、外の誰かのためじゃなく、内側の自分に呼びかける時間にしていきましょうね。

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