連休の、ぽっかりあいた午後。予定もなくて、なんだか、手持ちぶさたな時間って、ありますよね。
そういうとき、ふと、部屋のなかが、気になりだすこと、ありませんか。
「あー、片づけなきゃ、なあ」「クローゼット、もう、ぐちゃぐちゃだ、なあ」って。
でも、いざ、立ち上がろうとすると、その量の多さに、気が、遠くなる。どこから手をつけたらいいのか、わからなくなって、結局、また、ソファに、沈んでしまう。
そして、片づけられなかった自分に、ちいさく、バツをつける。「せっかくの休みなのに、なにも、できなかった」って。
そんなあなたへ。
だいじょうぶ。あなただけじゃないですからね。
きょうは、部屋ぜんぶを、きれいにしましょう、なんて、言いません。そんな大ごと、連休の、せっかくの休みに、しなくて、いいんです。
ぼくが提案したいのは、たったひとつ。ひきだしを、ひとつだけ、あけてみる。それだけです。
ぼくは、つみへらし、という生き方を、大切にしています。足すより、手放す。こだわりや、とらわれを、すこしずつ、減らしていく。
片づけというのは、じつは、いちばん身近な「手放す」の、練習なんです。ものを手放すたびに、ぼくたちは、こころの手放し方も、すこしずつ、おぼえていく。
正直に言うと、かつてのぼくの部屋は、もので、あふれていました。
走りすぎて、こころがすり減って、最後は、部屋から出られなくなった時期がありました。そのころのぼくのまわりには、ものが、うずたかく、積もっていたんです。
いつか、使うかもしれない、もの。高かったから、捨てられない、もの。思い出が、こびりついている、もの。
ぜんぶ「手放せない」まま、ぼくのまわりに、どんどん、たまっていきました。そして、その山に埋もれながら、ぼくは、わけもなく、息苦しさを、感じていたんです。
ものが多いと、なぜか、こころまで、重くなるんですよね。視界に入るもの、ひとつひとつが、ちいさな「やらなきゃ」になって、こころを、じわじわと、しめつけてくる。
「あれも、片づけなきゃ」「これも、捨てなきゃ」。ものの山は、そのまま、終わらない宿題の山に、見えてくる。そして、その宿題の多さに、また、動けなくなる。動けないことに、また、自分を、責める。
部屋の散らかりは、こころの散らかりと、どこかで、つながっている。ぼくは、どん底のなかで、それを、身をもって、知りました。
だから、片づけは、根性で、やるものじゃ、ないんです。こころを、すこし軽くするための、やさしい手当てなんです。気合いも、まとまった時間も、いりません。
今日できる、小さな一歩。
3分でいいので、ひきだしを、ひとつだけ、あけてみてください。
机のひきだしでも、洗面所の引き出しでも、なんでも、いい。いちばん小さくて、いちばん気が重くない、ところからで、いいんです。
そして、そのなかから、「もう、いらないな」と思えるものを、ひとつだけ、つまみ出す。
期限の切れた、クーポン。インクの出ない、ペン。いつのものか、もう思い出せない、レシート。
たったひとつで、いいんです。それを、ポーンと、手放す。
ひとつ手放すと、ふしぎと、ひきだしのなかに、ちいさな余白が、生まれます。その余白を見たとき、こころにも、おなじだけ、すきまが空くのが、わかると思います。
「ちょっと、すっきりしたかも」。その、ちいさな実感が、つぎの一歩を、そっと、軽くしてくれる。
たった、ひきだし、ひとつ。でも、その小さな身軽さが、連休のあなたを、すこし、楽にしてくれます。
ぜんぶ、やろうとしなくて、いいんです。ひとつ手放せたら、それは、もう、りっぱな前進ですから。そして、もし「もうひとつ、やってみようかな」と思えたら、それは、おまけ。やってもいいし、やらなくても、いい。きょうは、ひとつで、はなまるです。
大きく変えようとすると、こころは、こわがって、動けなくなります。でも、ひきだしひとつなら、こわくない。その「こわくない」の積み重ねが、いつか、あなたの部屋も、こころも、すこしずつ、軽くしていきます。
焦らず、比べず、背伸びせず。ぜんぶを、片づけなくていい。今日は、ひきだしひとつで、じゅうぶんです。
今日もまた、自分らしいペースで、トコトコ歩いていきましょうね。
