風が、やわらかく、なりましたね。窓の外の緑が、日に日に、こくなっていく季節です。
新緑のなかを歩いていると、ふしぎと、こころが、ほどけていきませんか。
そして、ふと、思ったりする。「ぼくも、こんなふうに、ありのままで、いられたらなあ」って。
まわりの人は、もっと上手に、やっている気がする。あの人みたいに、堂々と、していられたら。あの人みたいに、要領よく、できたら。
そうやって、知らず知らずのうちに、自分を、だれかと比べて、ちいさく、なっていませんか。
そんなあなたへ。
だいじょうぶ。あなただけじゃないですからね。
今日は、ぼくの好きな禅語を、ひとつ。
『春色無高下』(しゅんしょくこうげなし)。そして、こう、続きます。『花枝自短長』(かしおのずからたんちょう)。
少しむずかしいですが、いっしょに、ひもといていきましょう。
「春の色に、高い低いは、ない」。春のひざしは、山にも、川にも、大きなお屋敷にも、ちいさな家にも、まったく、おなじように、降りそそぎます。えらいとか、えらくないとか、そんな区別は、いっさい、しない。春は、すべてのうえに、ただ、平等に、やってくる。
でも、後半は、こう、言うんです。「花の枝には、おのずから、短いものと、長いものが、ある」。
おなじ春の光を、あびていても、梅の枝もあれば、桜の枝もある。長くのびた枝もあれば、つましく短い枝もある。大きくひらく花もあれば、咲く前に、そっと散っていく花もある。
平等で、あること。そして、ちがって、いること。
このふたつが、ひとつの春のなかに、なんのむじゅんも、なく、共にある。それが、この禅語の、いちばん伝えたいことなんです。
ぼくは、これを知ったとき、ふっと、肩の力が、抜けました。
かつてのぼくは、だれかと、自分を、比べてばかり、いました。
起業して、走っていたころ。あいつより、稼がなきゃ。あいつより、上に、いかなきゃ。いつも、だれかの枝の長さを、横目で、見ていました。
自分の枝が、短く見えると、焦って、必死に、のばそうと、する。でも、のばしても、のばしても、上には、もっと長い枝が、ある。きりが、ないんです。だれかに、追いついたと思った瞬間、もう、その人は、さらに先へ、いっている。
その比べくらべの果てで、ぼくは、すり減って、最後は、部屋から、出られなくなりました。
あのころのぼくは、おおきな、勘ちがいを、していたんです。枝が長いほうが、えらい。枝が短いのは、だめなことだ、と。
でも、ちがいました。
春の光は、長い枝にも、短い枝にも、おなじだけ、そそがれている。枝の長さで、あびる光の価値は、まったく、変わらないんです。
長い枝は、長いままで。短い枝は、短いままで。それぞれの長さで、それぞれの花を、ちゃんと、咲かせている。
そこに、優劣なんて、ないんです。
ぼくは「You can be any color you want.」という言葉を、大切にしています。あなたは、あなたの好きな色で、いい。
それは、この春の禅語と、地続きなんです。
あなたの枝が、だれかより、短く見えたとしても。あなたの花が、だれかより、地味に見えたとしても。
そこに、そそがれている春の光は、だれのものとも、まったく、おなじ。あなたは、あなたの枝で、あなたにしか咲かせられない花を、ちゃんと、咲かせている。それは、ほかのだれにも、代わりに咲かせることの、できない花です。
比べる必要なんて、なかったんです。最初から、ずっと。
今日できる、小さな一歩。
きょう、もし、だれかと自分を比べて、ちいさく、なりそうに、なったら。そっと、空を、見上げてみてください。
そして、こころのなかで、つぶやいてみる。「おなじ春の光のなかに、ぼくも、いる」と。
それから、足もとや、窓辺の、ちいさな草花を、ひとつ、見つけてみてください。どんなに小さな花でも、ちゃんと、咲いています。背のびも、比べっこも、せずに。ただ、その場所で、その色で。
あなたも、そうで、いいんです。だれかの枝の長さを、うらやむより。あなたの枝に、いま咲いている花を、そっと、見つめて、あげてください。きっと、あなたが思っているより、ずっと、きれいな色を、しています。
焦らず、比べず、背伸びせず。あなたの枝の長さで、あなたの花を咲かせれば、それで、じゅうぶんですから。
今日もまた、自分らしいペースで、トコトコ歩いていきましょうね。
