連休明けの、朝。目覚ましが鳴って、ふとんのなかで、思わず、うめいて、しまう。
「あー、もう、朝か」「からだが、鉛みたいに、おもい」
そんな朝では、ないでしょうか。
楽しかった連休のあとほど、この朝は、こたえますよね。ギャップが、大きいぶん、よけいに、しんどい。布団から出るまでに、いつもの、何倍もの、時間が、かかる。
そして、こんな自分に、また、ちいさく、いらだつ。「みんな、ちゃんと、切りかえてるのに」「なんで、ぼくだけ、こんなに、だめなんだろう」って。
そんなあなたへ。
だいじょうぶ。あなただけじゃないですからね。
連休明けに、からだと、こころが、重いのは、当たりまえのこと、なんです。むしろ、それだけ、しっかり、ゆるめられた、という、よいしるし。あなたのからだは、ちゃんと、休めていた、という、証拠なんです。
だから、きょう、いちばん、やっては、いけないこと。それは、いきなり、エンジンを、全開にしようと、することです。
ぼくたちは、つい、こう、考えます。「休んだぶん、取りかえさなきゃ」「初日から、ばりばり、がんばらなきゃ」って。
でも、それは、冷えきったエンジンに、いきなり、アクセルを、べた踏みするような、ものなんです。無理がたたって、かえって、こわれて、しまう。
正直に打ち明けると、かつてのぼくは、この「いきなり全開」の、名人でした。
休むことに、罪悪感が、あって。ゆるんだ自分を、取りかえそうと、必死に、アクセルを、ふみこんで、いました。ゼロか、百か。ぼくの生き方には、その、あいだが、なかったんです。
でも、その走り方では、長くは、もちませんでした。すり減って、すり減って、最後は、エンジンそのものが、止まって、しまった。部屋から、出られなく、なったんです。
あのとき、ぼくは、ようやく、わかりました。全開で走りつづけることは、強さでは、なかった。むしろ、自分のからだの声を、無視しつづける、ということだったんです。からだは、ずっと、「すこし休もう」と、サインを、送っていた。ぼくが、それを、ずっと、聞こえないふりを、していただけ。
そのどん底で、ぼくは、学びました。からだも、こころも、エンジンと、おなじ。冷えているときは、まず、ゆっくり、あたためる。それから、すこしずつ、回していけば、いい。
いきなり、百を、目ざさなくて、いい。きょうは、三十でも、じゅうぶんなんです。
今日できる、小さな一歩。
連休明けのきょうは、「いつもの七割」で、いきましょう。
そのために、朝、ひとつだけ、こんなことを、してみてください。
席についたら、すぐに仕事をはじめる前に、いちど、ふかく、息を、はく。ふーっと、長く、ながく。肩の力を、すとん、と、おとす。
そして、こころのなかで、決めて、しまう。「きょうは、エンジンを、あたためる日。それで、じゅうぶん」と。
メールを、ぜんぶ、返さなくて、いい。たまった仕事を、きょう、ぜんぶ、片づけなくて、いい。
いちばん、かんたんなものを、ひとつ。それが、できたら、それで、はなまるです。
連休明けの一日を、無事に、やりすごせたら。それだけで、あなたは、じゅうぶん、すごいんですから。
きょう、エンジンが、あたたまらなくても、だいじょうぶ。あしたは、もうすこし、回るようになります。からだは、ちゃんと、あなたのペースを、知っていますから。急がせるのでは、なく、からだの声に、すこし、耳を、すませてあげてください。
焦らず、比べず、背伸びせず。きょうは、エンジンを、あたためるだけ。
今日もまた、自分らしいペースで、トコトコ歩いていきましょうね。
