日曜の夜の、あのざわつきと仲なおりする

日曜日の、夕方すぎ。

楽しかったはずの休みが、ゆっくりと終わりに近づいて、窓のそとがだんだん青くなっていくころ。胸のおくに、なんとも言えないざわつきが、そっと顔を出してくることってありませんか。

あしたから、また一週間がはじまる。

そう思ったとたん、まだ何も起きていないのに、こころがきゅっと縮こまる。テレビから流れてくる、あのおなじみのアニメの音楽を聞くと、なぜか少しだけ淋しくなる。

そんなあなたへ。

だいじょうぶ。あなただけじゃないですからね。

ぼくも、ずっとそうでした。

日曜の夜が、いちばん苦手でした。

何が嫌なのか、自分でもよくわからない。明日のことを考えると、ただ漠然と、こころが重くなる。やらなきゃいけないことが、頭のなかで山のように積み上がっていく気がして、ベッドに入っても、なかなか寝つけない。

このざわつきには、ちゃんと名前がついているそうです。

サザエさん症候群、なんて呼ばれたりもしますね。

休みの終わりに、これから始まる日常を思って、こころがしんどくなる。とても繊細で、まじめな人ほど、このざわつきを強く感じるのだと、ぼくは思っています。だって、明日を真剣に生きようとしているからこそ、心配になるんですから。

だから、まず、これだけは伝えさせてください。

そのざわつきは、あなたが弱いから感じるものではありません。

あなたが、明日をちゃんと生きようとしている、その証なんです。

ざわつきの正体は、たぶん「未来の心配ごと」

少し立ち止まって、考えてみたいんです。

日曜の夜に感じるあの重さって、いったい何なのでしょう。

ぼくがいきついた答えは、こうです。それは、まだ来てもいない月曜日を、こころのなかで先取りして、何度も生きてしまっているから。

朝起きられるだろうか。あの仕事は間に合うだろうか。あの人と、うまく話せるだろうか。

まだ何ひとつ起きていないのに、こころだけが、もう明日へ走り出してしまっている。

禅の世界には、『而今』(にこん)という言葉があります。

ただ今、この瞬間を生ききる、という教えです。

過ぎたことは、もう追いかけない。来ていないことは、まだ迎えにいかない。いま、ここにいる自分だけを、まるごと味わう。

頭ではわかるんです。今を生きればいいって。

でも、日曜の夜のぼくたちは、いちばんそれが下手になっています。からだは日曜の部屋にいるのに、こころだけが、明日のオフィスに出勤してしまっている。

だったら。

その出勤しすぎたこころを、そっと、今の部屋に連れ戻してあげればいい。

かつてのぼくは、日曜の夜に「先回り」しすぎていた

正直に打ち明けると、かつてのぼくは、心配の達人みたいな人間でした。

起業して、毎日が綱渡りだったころ。日曜の夜になると、月曜から始まる一週間の予定を、頭のなかで何十回もシミュレーションしていました。

あれが失敗したらどうしよう。これがうまくいかなかったら、どうしよう。

まだ何も起きていないのに、最悪の未来ばかりを、せっせと先取りして。眠れないまま朝を迎えて、寝不足のまま月曜日へ突っ込んでいく。そんな日曜の夜を、何年も、くりかえしていました。

その先に待っていたのは、こころの限界でした。

走りすぎて、お酒や刺激に逃げるようになって。最後は、人と会うのもこわくなって、部屋から出られなくなった時期があります。

おもしろいもので、あれだけ心配して先回りしたところで、その心配のほとんどは、現実には起きませんでした。ぼくは、起きもしないことのために、何十回も、こころをすり減らしていただけだったんです。

あのときのぼくに、いま声をかけられるなら、こう言ってあげたい。

「明日のことは、明日のおまえに任せておけばいいよ」と。

今夜のおまえは、ただ、今夜を生きればいい。明日の心配は、今夜のおまえの仕事じゃないんだ、と。

それは「逃げ」では、ありませんでした

こんなふうに書くと、現実から目をそらしているだけじゃないか、と思われるかもしれません。

でも、ぼくが言いたいのは、明日を投げ出そう、ということではありません。

むしろ逆です。

今夜、ちゃんと休んだこころのほうが、明日をずっと上手に生きられる。

心配で先取りしたところで、明日が良くなるわけではないんです。ただ、今夜の自分が、すりへるだけ。それなら、今夜は今夜のものとして、まるごと味わってあげたほうがいい。

明日のあなたは、思っているより、ずっと強いですから。

今夜のあなたが、心配で代わりに戦ってあげなくても、だいじょうぶなんです。

今夜できる、ちいさな一歩

もし、今夜またあのざわつきが顔を出したら。ひとつだけ、試してみてほしいことがあります。

「いま、ここ」に、こころを連れ戻すワークです。

ひとつ。あたたかい飲みものを、ゆっくり一杯。お茶でも、白湯でも、ココアでも。湯気を見つめて、香りをかいで、ひとくち飲む。その「いま」の感覚だけに、こころを置いてみる。

ふたつ。明日の心配が浮かんできたら、心のなかで、そっとこう言う。「それは、明日のぼくに任せた」と。追い払わなくていいんです。ただ、明日の自分に、配達するだけ。

みっつ。今日あった、ちいさな「よかったこと」をひとつだけ思い出す。おいしかったごはん。やわらかい日ざし。なんでもいい。今日という日を、ちゃんと「あった」ことにしてから、眠りにつく。

たったこれだけ。

でも、こころが明日へ先回りするのを、ほんの少しだけ、引き戻してくれます。

日曜の夜のざわつきは、消そうとしなくて、いいんです。

それは、あなたが明日をちゃんと生きようとしている、やさしいこころの動き。だから、敵にするのではなく、そっと隣に座らせてあげる。

「今夜は、ここまで。あとは、明日のぼくにまかせよう」

そう言って、ゆっくり眠ってください。

焦らず、比べず、背伸びせず。

今夜のあなたは、今夜を生きるだけで、じゅうぶんですから。

今夜、湯気の立つ一杯を飲むとき、あなたのこころは、いま、どこにいますか。

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