ふりかえれば、この一歩も、ちゃんと道だった

5月最後の日。

ふりかえってみると、なんだか、ぐるぐると、同じところを回っていただけのような気がする。

大きな成果も、なかった気がする。だれかに誇れるようなことも、なかった気がする。

「結局、今月も、何も進まなかったな」

そんなふうに、そっと肩を落としていませんか。

そんなあなたへ。だいじょうぶ。あなただけじゃないですからね。

5月の締めくくりに、ぼくがいちばん手わたしたい言葉を、置かせてください。

『歩歩是道場』(ほほこれどうじょう)。

少しむずかしいですが、こういう意味です。

修行をする場所は、どこか特別なところにあるのではない。いま、あなたが歩いている、その一歩一歩のなかに、ちゃんと道場はある。

特別な日々のなかにだけ、学びがあるのではなくて。なんでもない、毎日の一歩のなかにこそ、学びはある。

そういう、しずかな教えです。

ぼくたちは、つい、「進んだ」「進まなかった」を、大きな出来事ではかろうとします。

なにか大きなことを達成した月は、「いい月」。そうでなければ、「むだな月」。

でも、『歩歩是道場』は、そうではないと言うんです。

成果が出た一歩も。うまくいかなかった一歩も。ぐるぐる迷っていた一歩さえも。

ぜんぶ、ちゃんと、あなたを育てる、道場の一歩だった、と。

正直に打ち明けると、かつてのぼくは、この感覚が、まったく持てませんでした。

ぼくにとって、価値があるのは、いつも「前に進んだ日」だけでした。

立ち止まった日は、むだな日。うまくいかなかった日は、なかったことにしたい日。

だから、引きこもっていたあの時期のことは、ながいあいだ、ぼくの人生の、空白だと思っていました。

何も生み出さなかった、ただの暗い時間だと。

でも、いまになって、ふりかえると。

あの、いちばん動けなかった日々があったから、ぼくは、立ち止まることの大切さを知りました。

走ることしか知らなかったぼくが、ゆるめることを覚えたのも。人の弱さに、やさしくなれるようになったのも。

ぜんぶ、あの、何も進まなかったと思っていた日々が、教えてくれたことでした。

あの空白こそが、いちばん深い、道場だったんです。

進んでいなくても、道は、ちゃんと続いている。

5月をふりかえって、「何も進まなかった」と感じるとき。

それは、たぶん、ほんとうに何も進まなかったのではなくて。

「目に見えるかたち」で進まなかった、ということなんだと思います。

しんどい日に、ちゃんとごはんを食べたこと。やめたくなった朝に、それでも起き上がったこと。だれにも気づかれないところで、なんども、自分をなだめてきたこと。

それは、表彰されることも、数字に出ることも、ありません。

でも、まちがいなく、あなたが歩いた、一歩一歩です。

そして、その一歩は、ぜんぶ、あなたという人を、しずかに、深くしてきました。

ぼくが大切にしている「つみへらし」も、結局は、この一歩一歩のなかでしか、育ちません。

特別な修行の場に行かなくても。なにか大きなことを成しとげなくても。

きょう、目の前のことを、ひとつ、丁寧にやる。それ自体が、もう、立派な道場なんです。

ごはんを、ていねいに食べる。洗いものを、ていねいにする。道を、ていねいに歩く。

なんでもないその一歩が、あなたを、しずかに育てています。

進んでいる、進んでいない。それを決めているのは、じつは、あなたの「ものさし」だけなのかもしれません。

成果や、数字や、人との比較。そういう、外のものさしで測ると、立ち止まった日は、ぜんぶ、マイナスに見えてしまう。

でも、ものさしを、そっと置いてみる。

すると、見えてくるんです。あの日も、こうして生きていた。この日も、ちゃんと、息をしていた。

それは、測れないけれど、たしかな、一歩だったと。

5月という、ひと月の道を、あなたは、たしかに、歩ききりました。

晴れた日も、雨の日も。軽い足どりの日も、一歩がやっとの日も。

そのぜんぶが、つながって、いまの、あなたという道になっています。

途中で立ち止まったことも、回り道をしたことも、ぜんぶ、その道の、たいせつな景色です。

まっすぐな道より、回り道のほうが、見える景色は、ずっとゆたかだったりするんですよ。

今日できる、小さな一歩。

5月最後の今日、しずかに、こんなことをしてみませんか。

①目を、すこしのあいだ、とじてみる。

②この5月、自分が歩いてきた日々を、ゆっくり、思いうかべる。うまくいった日も、何もできなかった日も、ぜんぶ、ふくめて。

③そして、こころのなかで、その一歩一歩に、こう言ってあげてください。「あの一歩も、この一歩も、ぜんぶ、ちゃんと道だったね」と。

ぐるぐる回っていたように見えた日々も。進まなかったように見えた日々も。

ふりかえれば、ぜんぶ、あなたという道の、一部です。

むだな一歩なんて、ひとつも、ありませんでした。

きょうも、あした、踏み出すその一歩も、ちゃんと、あなたの道場です。

だいじょうぶ。人生というスパンで見れば、結果は自ずと、然るべきものがついてきますから。

今日もまた、自分らしいペースで、トコトコ歩いていきましょうね。

5月、ほんとうに、おつかれさまでした。

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