雨の音を、ただ聞いてみる ― 好い日は、空が決めるものじゃない

窓の外が、しとしとと濡れている朝。カーテンを開けて、灰色の空を見たとたん、こころのどこかが、すこしだけ、しぼんでしまう。

そんなこと、ありませんか。

「あぁ、今日も雨か」そのひとことを、こころのなかでつぶやいた瞬間、もう、その一日に、うっすらと「ハズレ」の札がかかってしまう。晴れていれば、よかったのに。そう思いながら、重い足どりで、一日をはじめる。

そんなあなたへ。だいじょうぶ。あなただけじゃないですからね。

『日日是好日』という、しずかな励まし

きょうは、梅雨のこの時季にこそ、そっとお渡ししたい禅語を、ひとつ。

『日日是好日』(にちにちこれこうにち)。「日々、これ、好い日である」という、禅の教えです。

少しむずかしい言葉ですが、ぼくはずっと、こんなふうに受け取っています。

——好い日というのは、空模様が決めてくれるものではない。晴れだから好い日で、雨だから悪い日、なのではない。どんな一日も、自分のこころの置きどころひとつで、「好い日」にしていける。

そういう、しずかな励ましの言葉なんだ、と。

でも、この言葉は、すこし誤解されやすいんです。「どんな日も好い日なんだから、無理にでも前向きでいよう」そういう、根性論として読まれてしまうことがある。

ぼくは、ちがうと思っています。これは、「雨の日を、晴れだと思い込め」という教えではないんです。むしろ、その逆。雨の日を、雨のまま、ちゃんと味わってごらん、という教えだと、ぼくは受け取っています。

「好い・悪い」という、こころのなかの天気予報

ぼくたちは、いつも、こころのなかで、こまかな天気予報をしています。

これは好い、これは悪い。うまくいった、失敗した。ラッキー、ツイてない。

一日のなかで、いくつもの出来事に、せっせと点数をつけている。そして、その点数の合計で、「今日は、好い日だったか、悪い日だったか」を、決めてしまう。

でも、よく考えてみると。雨そのものには、ほんとうは、「好い」も「悪い」も、ついていないんです。雨は、ただ、降っている。「悪い」という札をつけているのは、いつだって、ぼくたちのこころのほう。

『日日是好日』が手放しなさいと言っているのは、雨ではなくて、その「札をつけるクセ」のほうなんだと思います。

かつてのぼくは、「晴れ」しか味わえなかった

正直に打ち明けると、かつてのぼくは、この言葉とは正反対のところで生きていました。

うまくいっている日だけが、好い日。数字が伸びた日、ほめられた日、思いどおりに進んだ日。そういう「晴れ」の日にだけ、自分の価値があると、信じこんでいました。

だから、雨の日が——つまり、うまくいかない日が来ると、まるで自分そのものがダメになったように感じて、必死で空を晴らそうとしていました。

走って、走って。お酒や刺激に逃げて。最後は、人と会うのもこわくなって、部屋に引きこもった時期もありました。

あのころのぼくは、天気予報ばかり気にしている人みたいでした。「あした晴れてくれないと困る」って、ずっと先のことばかり見ていて。目の前の、いまの一日を——雨そのものを、まったく生きられていなかったんです。

雨を、雨のまま、聞いてみる

雨を「悪いもの」と決めつけるのを、そっとやめてみる。すると、不思議なことが起きます。

雨の音が、すこしずつ、やさしく聞こえてくるんです。

窓を打つしずくの粒。濡れた葉っぱの、いつもより濃いみどり。車の少ない、しんとした街の気配。

晴れの日には、いそがしくて気づけなかった彩りが、雨のなかに、ちゃんとあったりする。それは、雨を「ハズレ」だと決めつけていたら、一生、出会えなかった景色です。

You can be any color you want.晴れの色だけが、うつくしいのではありません。雨の色には、雨の色の、深い彩りがあります。

今日できる、小さな一歩

むずかしい修行は、いりません。雨の日のための、3分くらいでできる小さなワークを、ひとつ。

① 窓のそばに、立ってみる。そして、雨を「ただ、ながめる」。「うっとうしい」も「風流だ」も、つけない。評価をしないで、ただ、見る。

② 雨の音を、ひとつだけ、すくいとる。ザーという音でも、ぽつんと落ちる音でもいい。耳をすませて、その音と、ほんの十秒だけ、一緒にいてみる。

③ 最後に、こころのなかで、つぶやく。「これはこれで、好い日」。

たったこれだけです。うまくできなくても、だいじょうぶ。「うまくできなかったなぁ」も、ちゃんと、好い日のうちですから。

晴れを追いかけていたころのぼくは、いつも、こころが乾いていました。でも、いちばん深いところを潤してくれたのは、じつは、雨の日のほうでした。

だから、もしあなたのこころに、今日、雨が降っていても。急いで、止めようとしなくて、だいじょうぶ。

雨の日も、ちゃんと、好い日です。焦らず、比べず、空を晴らそうとせず。今日という一日を、雨のまま、いとおしんでいきましょうね。

Share

X Facebook LINE

『喫茶去』(きっさこ)|まあ、お茶でも。8月を、そっと手放す夜に

8月最後の夜。 あなたはこのひと月を、どんなふうに振り返っていますか? できなかったことばかり、数えていませんか? 「夏らしいこと、何もできなかったなあ」なんて、ため息をついていませんか? そんな夜にぴったりの禅語を、今…

『放下著』(ほうげじゃく)〜手のなかの重荷を、ポーンと放る、日曜の夜に〜

日曜の夜、あしたの荷物を、もう背負っていませんか? まだ月曜は来ていないのに、会議のこと、あの人の顔、たまった仕事。 先回りして、こころのなかでぎゅうぎゅう抱えてしまうこと、ありますよね。

『而今』(にこん)──いまを生ききる、という祈り。8月15日に

きょうは、8月15日ですね。 静かに、手を合わせる日。 テレビの前で、街の片隅で、それぞれの場所で、たくさんの人が目を閉じる日です。 そんな日に、ひとつの禅語のお話をさせてください。