梅雨の衣替えで、過去のジブンを、そっと見送る3分ワーク

衣替えのために、クローゼットをあけると。何年も袖を通していない服が、ずらりと、ぼくらを見つめ返してくる。

そんな経験、ありませんか。

もう着ないとわかっているのに、なぜか、手放せない一着。高かったから。思い出があるから。いつか、また着るかもしれないから。そうやって、ひとつ、またひとつと、クローゼットの奥に、過去がたまっていく。

そして、衣替えのたびに、その「手放せない山」を前にして、なんだか、どっと疲れてしまう。

そんなあなたへ。だいじょうぶ。あなただけじゃないですからね。

手放せないのは、モノじゃなくて「過去のジブン」

ぼくが、片づけをしていて気づいたことが、ひとつあります。

手放せない服というのは、じつは、「服」そのものを手放せないわけじゃ、ないんです。その服を着ていた、「あのころのジブン」を、手放せない。

がんばっていた、あのころ。きらきらしていた、あのころ。あるいは、もう戻れない、あのころ。

服のかたちをした、過去のジブンが、そこにぶら下がっている。だから、捨てようとすると、自分自身を否定するみたいで、こころがチクッと痛むんです。

これは、あなたが、ものぐさだからでも、決断力がないからでも、ありません。あなたが、過去の自分を、それだけ大切に思っている、という、やさしさのあらわれなんです。

捨てる、ではなく、見送る

だから、ぼくは、「捨てる」という言葉が、あまり好きではありません。なんだか、過去のジブンに、冷たくするみたいで。

そうではなくて。手放すことを、「見送る」と、とらえてみませんか。

禅の世界には、喜捨(きしゃ)という言葉があります。よろこんで、手放す、という意味です。

執着して、しがみついて手放すのではなく。「ありがとう」と、感謝して、おだやかに見送る。そういう手放し方が、ある。

その服に、ちゃんとお礼を言って、見送る。「あのころ、ぼくを、ささえてくれて、ありがとう」と。そうやって見送れたとき、ぼくらは、その服が背負っていた「過去のジブン」とも、やわらかく、和解できるんです。

「いつか着るかも」の、いつかは、来ない

手放せない理由で、いちばん多いのが、「いつか、また着るかもしれない」だと思います。

その「いつか」は、とても、やさしい言葉です。まだ、終わっていない。まだ、可能性がある。そう思えるから、こころが、すこし安心する。

でも、正直に言うと——その「いつか」は、たいてい、来ないんです。何年もしまわれたままの服は、たぶん、これからも、しまわれたまま。「いつか」という札は、手放さない理由を、そっと先延ばしにしているだけのことが、多いんです。

それは、悪いことではありません。ただ、「いつか着るかも」の服に占領されたクローゼットは、「今、着たい服」の居場所を、せまくしてしまう。過去の「いつか」のために、今のあなたの彩りが、押し込められてしまうんです。

かつてのぼくは、過去にしがみついていた

正直に打ち明けると、かつてのぼくは、過去にしがみついて生きていました。

うまくいっていたころの自分。輝いていたころの数字。あのころに、もう一度、戻りたい。戻らなきゃ。そうやって、終わってしまった「晴れの日」を、いつまでも手放せずにいました。

過去をぎゅっと握りしめていたぼくの手は、いつのまにか、目の前の「今」を、つかめなくなっていました。両手が、過去でふさがっていたからです。

走りすぎて、刺激に逃げて、最後は引きこもって。ぼくがようやく前に進めたのは、過去のジブンに「ありがとう、もういいよ」と言って、そっと見送れたときからでした。

手放した分だけ、こころに、今を生きるための余白が、生まれたんです。

モノを手放すというのは、ぼくにとっては、こころの練習でもありました。目に見える服を、ひとつ、おだやかに見送れるようになると、ふしぎと、目に見えない執着——過去への未練や、こうあるべきという思い込みまで、すこしずつ、手放せるようになっていったんです。クローゼットは、こころの、けいこ場なのかもしれません。

今日できる、小さな一歩

衣替えのこの時季に、3分でできる、見送りのワークを、ひとつ。

① クローゼットから、「もう着ないけど、捨てられない服」を、一着だけ、手にとる。ぜんぶじゃなくて、いいんです。たった一着で。

② その服に、こころのなかで、お礼を言う。「あのころ、ぼくを(私を)ささえてくれて、ありがとう」。その服を着ていた、あのころの自分のことも、いっしょに、ねぎらってあげる。

③ そして、おだやかに、見送る場所(手放す袋)へ、入れる。ポーンと、軽く。さよならではなく、ありがとう、の気持ちで。

一着、見送れたら、それで、じゅうぶんです。クローゼットに生まれた、ひとつ分のすきま。そのすきまが、これからのあなたが、新しい彩りを迎えるための、余白になります。

梅雨は、自然がしずかに、ものを洗い流していく季節です。その流れに、すこしだけ、こころを合わせて。

焦らず、比べず、無理に捨てず。過去のジブンに「ありがとう」と言いながら、ひとつずつ、見送っていきましょうね。

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