捨てられないもの、ありませんか。
もう何年も着ていない、あの服。使わないとわかっているのに、置いてある、あの道具。読み返さない手紙。壊れたまま、引き出しに眠っているもの。
「片づけなきゃ」と思うのに、いざ手に取ると、なぜか、手が止まる。そして、また、そっと元の場所に戻してしまう。
そんな自分を、「優柔不断だな」「だらしないな」と、責めていませんか。
そんなあなたへ。だいじょうぶ。あなただけじゃないですからね。
きょうは、片づけの「技術」の話ではなくて、「捨てられないこころ」のほうの話を、すこしさせてください。
捨てられないのは、弱さじゃない
まず、お伝えしたいことがあります。
捨てられないのは、あなたの意志が弱いからでは、ありません。
その服や、その道具や、その手紙には、「過去のあなた」が、しまわれているからです。
それを着ていたころの、自分。それを使って、がんばっていた、日々。それをくれた人と、過ごした時間。
モノを捨てるというのは、ただの物体を処分することじゃなくて、ときに、そのころの自分に、さよならを言うことでもあるんですよね。
だから、手が止まるのは、当たり前なんです。あなたは、モノを惜しんでいるんじゃない。そのモノにくっついた、過去の自分を、まだ、ねぎらいきれていないだけなんです。
それは、弱さじゃなくて。過去の自分への、優しさです。
ぼくも、ぜんぶ握りしめていた
正直に打ち明けると、かつてのぼくは、過去を、ぜんぶ抱えて生きていました。
起業して走っていたころの、名刺や、資料や、栄光の記録。うまくいっていた時代のものを、もう役目を終えているのに、ぜったいに手放せなかった。
それを持っているあいだは、「あのころのすごい自分」が、まだ続いている気がしたんです。
でも、ほんとうは、その重い荷物を抱えていたから、新しい一歩が、踏み出せなかった。過去の自分にしがみついて、いまの自分を、生きられていなかったんです。
本来無一物、というけれど
禅の言葉に、『本来無一物』(ほんらいむいちもつ)というものがあります。
「人は、もともと、何ひとつ持っていない」という教えです。少しさみしく聞こえますが、ぼくは、こう受け取っています。
——手放しても、なくなるものなんて、ほんとうは、ない。だいじな思い出は、モノが消えても、こころのなかに、ちゃんと残る。
服を手放しても、それを着てがんばった日々は、消えません。手紙を手放しても、その人と過ごした時間は、消えません。
モノは、思い出の「入れ物」であって、思い出そのものじゃ、ないんです。入れ物を、ひとつ、そっと手放しても、中身は、あなたのなかに、ちゃんと残ります。
そして、手放すという行いを、禅では「喜捨」(きしゃ)とも言います。惜しみながら捨てるのではなくて、感謝して、よろこんで、手放す。
「ありがとう。もう、だいじょうぶ」と言って、送り出す。
それは、捨てるというより、卒業に近いのかもしれません。
卒業式のときに、教室の机や椅子を、ぜんぶ持って帰る人はいませんよね。そこで過ごした日々は、机ではなく、自分のなかに、ちゃんと残っているから。モノとのお別れも、それと、おなじなんだと思います。
だから、手放すときに、すこし泣いてもいいんです。それは、後悔の涙じゃなくて、ちゃんと大切にできた、という、卒業の涙ですから。
今日できる、小さな一歩
ぜんぶを片づけようとしなくて、だいじょうぶ。過去の自分にお別れを言う、3分くらいのワークを、ひとつ。
① まず、「捨てられないもの」を、ひとつだけ、手に取る。ぜんぶじゃなくていい。たったひとつ。
② それを手にしたまま、心のなかで、こう言ってみる。「あのころ、これと一緒にがんばってくれて、ありがとう」。モノにではなく、それを使っていた「過去の自分」に、声をかけるつもりで。
③ そのうえで、こころが「まだ、いいや」と言ったら、戻していい。「いってらっしゃい」と思えたら、手放せばいい。どちらでも、正解です。今日は、お別れの「練習」ができただけで、じゅうぶんですから。
たったこれだけです。
ひとつも手放せなくても、だいじょうぶ。「ありがとう」と言えただけで、過去の自分は、ちゃんと、報われていますから。
過去の自分を、ねぎらって、見送る
過去を抱えこんで動けなかったあのころのぼくに、もし声をかけられるなら、こう言いたいんです。
そんなに、ぜんぶ持って歩かなくていいよ。あのころのきみのがんばりは、モノが消えても、ちゃんと、いまのぼくのなかに生きているから、と。
だから、もしあなたが今日、何ひとつ捨てられなくても。自分を、責めないであげてください。
捨てられないのは、あなたが、過去の自分を、それだけ大切にしてきた証拠ですから。
焦らず、比べず、いっぺんに手放そうとせず。過去の自分に、ひとつずつ「ありがとう」を言いながら、進んでいきましょうね。
きっと、だいじょうぶ。送り出したぶんだけ、あたらしいものを置く場所が、こころに生まれますから。
