期待しすぎないという、いちばんやさしい距離のとり方

あの人なら、きっとわかってくれるはず。

そう思っていたのに、返ってきた言葉がそっけなくて、こころがしゅんとしぼんでしまう。そんなこと、ありませんか。

こんなにこっちは気にかけているのに。こんなにがんばって合わせているのに。なのに、どうして。

そうやって、相手にうっすら腹を立てている自分に気づいて、また少し、いやになる。

そんなあなたへ。だいじょうぶ。あなただけじゃないですからね。

きょうは、人とのつき合いに疲れやすいあなたへ、「期待」と「距離」の話を、すこしだけさせてください。

がっかりの正体は、相手じゃなくて

人にがっかりするとき、ぼくたちはつい、相手が悪いと思いがちです。

冷たい人だな。わかってくれない人だな。

でも、よくよく見つめてみると、がっかりの正体は、相手そのものじゃないことが多いんです。

ほんとうの正体は、ぼくが勝手にこころのなかで描いた、「こうしてくれるはず」という設計図のほう。

その設計図と、現実の相手とのあいだに、すきま風が吹く。そのすきま風を、ぼくたちは「がっかり」と呼んでいる。

つまり、期待というのは、知らないうちに、相手に渡している「宿題」みたいなものなんですね。

本人は受け取った覚えもないのに、いつのまにか採点されて、「不合格」の判を押されている。それって、相手にとっても、ちょっと窮屈な話かもしれません。

かつてのぼくは、人にしがみついていた

正直に打ち明けると、かつてのぼくは、人に期待しすぎて、自分でこころをすり減らしていました。

起業したばかりのころ、ぼくはいつも、だれかに認めてほしくてたまりませんでした。

がんばっているぼくを、見ていてほしい。すごいねって、言ってほしい。

だから、相手の反応に、いちいち一喜一憂していました。少しそっけなくされただけで、夜じゅう、その人の言葉をグルグル思い返して。眠れなくなって。

人とつながりたいはずなのに、つながろうとすればするほど、こころは渇いていきました。やがてお酒や刺激に逃げて、最後は、人に会うのもこわくなって、部屋に引きこもった時期もありました。

いま思えば、ぼくは人を「愛して」いたんじゃなくて、人に「しがみついて」いたんだと思います。

相手を、自分の渇きを満たすための道具みたいに、扱っていた。期待という名前の、重たい荷物を、いつも相手に背負わせていたんです。

『君子の交わりは淡きこと水のごとし』

少しむずかしい言葉ですが、ぼくがこの話をするとき、いつも思い出す言葉があります。

『君子之交淡若水』(くんしのまじわりはあわきことみずのごとし)。

中国の古い書物『荘子(そうじ)』に出てくる言葉で、「ほんとうにいい関係というのは、水のように淡いものだ」という意味です。

べったりと甘くて濃い関係は、一見、仲がよさそうに見えます。でも、濃いものほど、すぐに腐りやすい。

水のように淡い関係は、味も素っ気もないように見えて、じつは、いつまでもくさらない。

期待でべったり塗り固めるのではなく、すこし、すきまを空けておく。相手を、相手のまま、そっとしておく。

それが、ながく続く関係の、ひそかなコツなんだと、ぼくは思っています。

距離をとるのは、冷たいことじゃない

期待を減らすというと、なんだか冷たい人になるみたいで、抵抗があるかもしれません。

でも、ちがうんです。

期待を手放すというのは、「あなたは、あなたのままでいいよ」と、相手に許可を出すこと。

ぼくの設計図どおりに動いてくれなくても、いい。返事がそっけなくても、いい。あなたには、あなたの事情と、あなたのペースがあるんだから。

そう思えたとき、不思議なことに、相手のことが、前よりずっと、いとおしく見えてきたりします。

期待という色眼鏡をはずすと、その人の、ありのままの彩りが、ちゃんと見えてくるんですね。

距離をとるのは、突き放すことじゃない。相手を、相手として、尊重するということ。引き算したぶんだけ、関係に、やさしい風通しが生まれます。

今日できる、小さな一歩

むずかしいことは、いりません。きょう、ひとつだけ。

最近、ちょっとがっかりした人を、ひとり思い浮かべてみてください。

そして、こころのなかで、その人にこっそり、こう声をかけてみる。

「期待してた、ごめんね。あなたは、あなたのままでいいよ」と。

たったこれだけです。声に出さなくて、だいじょうぶ。

相手を変える呪文じゃなくて、自分の肩の力を、ふっと抜くための、おまじないみたいなものです。

これを唱えると、相手に渡していた重たい宿題を、そっと、こちらが引き取れる。すると、ふしぎと、こころが軽くなります。

ちょうどいい距離は、いつも変わっていい

人との距離に、正解はありません。

きょう近づきたい人もいれば、すこし離れたい人もいる。それは日によっても、気分によっても、変わっていい。

近づきすぎて疲れたら、そっと離れる。離れてさみしくなったら、また近づく。

その、行ったり来たりを、自分に許してあげてください。

べったりしなくても、つながりは、ちゃんと続きます。むしろ、淡いくらいのほうが、ながく、おだやかに、いっしょにいられる。

焦らず、比べず、しがみつかず。きょうも、自分のこころを置き去りにしないペースで、人と、トコトコ歩いていきましょうね。

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