上半期を明らめるという、後悔のやさしい置き方

あぁ、あのとき、ああしておけば。

過ぎてしまったことを、夜になると、ついグルグル思い返して、眠れなくなる。そんなこと、ありませんか。

もう半年が、終わってしまう。なのに、ぼくのこころには、やり残したことや、後悔ばかりが、こびりついている。

その後悔を、どう手放せばいいのか、わからなくて。胸の奥に、重たいまま、抱えている。

そんなあなたへ。だいじょうぶ。あなただけじゃないですからね。

きょうは、上半期の締めくくりに。後悔の、やさしい置き方の話を、お渡しさせてください。

後悔は、無理に消そうとすると、こじれる

後悔を、ぼくたちはつい、「忘れよう」「気にしないようにしよう」と、消そうとします。

でも、ふしぎなもので、消そうとすればするほど、後悔は、しつこく、こころにまとわりついてきます。

「考えないようにしよう」と思うほど、そのことを、考えてしまう。これは、こころの、やっかいなクセなんですね。

だから、きょうお伝えしたいのは、「後悔を消しましょう」では、ありません。

消すんじゃなくて、置く。手放すんじゃなくて、そっと、地面に下ろす。そういう、力を抜いた付き合い方の話です。

かつてのぼくは、後悔に、こころを乗っ取られていた

正直に打ち明けると、かつてのぼくは、後悔の名人でした。

起業して、うまくいかないたびに、「あの判断が、まちがっていた」「あのとき、ああしていれば」と、過去を何度も、巻き戻して。

すでに終わったことを、頭のなかで、何百回も、やり直していました。でも、どれだけ巻き戻しても、過去は、一ミリも変わらない。

ただ、こころだけが、すり減っていく。後悔に、現在を乗っ取られて、いまここを、生きられなくなっていたんです。

その苦しさから逃げるように、お酒や刺激にすがって。最後は、人に会うのもこわくなって、部屋に引きこもった時期もありました。

過去にしがみついていたぼくは、いちばん大切な「いま」を、まるごと、後悔に明け渡していたんだと思います。

『明らめる』ということ

きょう、上半期の締めくくりに、お渡ししたい言葉があります。

それは、「あきらめる」という言葉です。ただし、ふつうの「諦める」では、ありません。

仏教には、もともと「明らめる」という言葉があります。物事を、あきらかに、見る。ありのままを、はっきりと、受けとめる。それが、本来の「あきらめる」の意味なんです。

少しむずかしい話ですが、「諦」という字は、もともと「あきらかにする」という意味を持っています。投げ出すことでも、あきれてやめることでも、ない。

だから、後悔を「明らめる」というのは、こういうことです。

「あぁ、ぼくは、あのとき、ああするしかなかったんだな」。「あの判断は、あのころのぼくの、精いっぱいだったんだな」と、ありのままを、しずかに、受けとめること。

過去を、ねじ曲げるんじゃない。なかったことに、するんじゃない。あったことを、あったまま、そっと見つめて、うなずいてあげる。

それが、後悔の、いちばんやさしい置き方だと、ぼくは思っています。

今日できる、小さな一歩

むずかしい瞑想は、いりません。きょう、半年の締めくくりに、3分のワークを、ひとつ。

① 静かなところで、目を閉じて。この半年で、いちばん後悔していることを、ひとつ、そっと思いうかべてください。

② その後悔に、こころのなかで、こう声をかけます。「あのときのぼくは、あれが精いっぱいだった。よく、がんばったね」。

③ そして、息を、ふぅーっと、長く吐きながら、その後悔を、すこし下のほうへ、置くイメージをします。手から、地面へ。そっと、下ろす。

消えなくても、だいじょうぶ。後悔は、無理に消さなくて、いいんです。ただ、しがみつく手を、すこしだけ、ひらいてみる。それだけで、こころは、ふっと軽くなります。

明らめた先に、後半が待っている

上半期を「明らめる」というのは、過去に、白旗をあげることでは、ありません。

それは、過ぎたことを、過ぎたこととして、ちゃんと見つめて。うなずいて。そして、こころを、もう一度「いま、ここ」に、連れ戻すことです。

後悔を、地面にそっと置いて、身軽になったら。やっと、目の前にひろがる、後半の半年が、見えてきます。

あのころのぼくが、どん底で立ちどまった時間があったから、いまのぼくがいます。あなたの後悔も、後悔のように見えて、じつは、これからのあなたを、しずかに育てているのかもしれません。あの夜、眠れずに考えたことが、いつか、だれかにそっと寄り添える、やさしさに変わっていく。後悔は、痛みのまま終わるとは、かぎらないんです。

だから、もし今日、こころに後悔が降っていても。その後悔を、急いで消そうとしなくて、だいじょうぶ。

ありのままを、明らめて。そっと、置いていきましょう。

焦らず、比べず、過去を巻き戻さず。きょうから始まる後半を、また、自分らしいペースで、トコトコ歩いていきましょうね。

上半期、ほんとうに、おつかれさまでした。

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