朝、カーテンを開けたら、しとしとと雨。
日曜なのに、と、ため息が出ていませんか?
予定していた外出、楽しみにしていたあの店、子どもと約束していた公園。
全部、灰色の空に流されていく感じがする。
そんなあなたへ。
今日は、雨の日曜にこそ思い出したい禅語を、ひとつだけ持って帰ってくださいね。
ぼくは、晴れの日曜のほうが好きでした。
というより、ぼくの「ちゃんとした日曜」は、晴れていることが前提だったんです。
天気が崩れた日曜は、なにかが奪われた日。なにもできなかった日。損をした日。
そんなふうに、空を見上げては勝手にジャッジしていた時期が、長くありました。
そのジャッジが、ぼくの平日にもじわじわと染み込んでいったんですね。
「うまくいった日」と「うまくいかなかった日」を、毎日のように線引きするようになって、
気がつくと、ほとんどの日が「うまくいかなかった日」のほうに入っていきました。
人生まるごと、ジャッジに食いつぶされていた感覚でした。
『日々是好日』(にちにちこれこうにち)。
これは、毎日いい日だね、というポジティブな掛け声ではありません。
雨の日も、晴れの日も、なんでもない日も、その日をそのまま「好日」として受けとる、という禅の姿勢です。
ジャッジをしない、ということ。
良いも悪いも決めずに、いま起きていることを、そのまま味わう。
そうすると、雨の日曜にしか出会えない景色や、雨の日曜にしかできない体験が、不思議とこころに入ってくるようになります。
今日の小さな一歩は、雨の音を「聞く」時間です。
3分でいいので、スマホもテレビも消して、窓のそばに座ってみてください。
目を閉じて、雨が屋根に当たる音、葉っぱを叩く音、地面に落ちる音だけを聞く。
頭の中で「うるさい」とか「眠くなる」とか、いろんな感想が浮かんでも、追いかけない。
ただ、聞く。
3分が経ったら、こころのなかでひとことだけ。
「今日もまた、好日でした」と。
晴れることを願わなくていい。
雨を恨まなくていい。
今日のかたちの一日を、今日のままに、抱きしめる。
焦らず、比べず、背伸びせず。
雨の音の中に、ちゃんと安らぎがありますからね。
