『而今』──過ぎたことも、まだ来ぬことも、今。

日曜の夜の浴槽の中。

頭の中だけ、なぜか先週の自分のミスと、来週の月曜の会議のあいだを、ぐるぐる往復していませんか?

あの会話、もっとうまく返せたはず。

あの人に、もっとああ言えばよかった。

それから、明日のあのプレゼン、本当にだいじょうぶか。

来週のあの面談、なんて言われるんだろう。

過去と未来のあいだで、こころが今この瞬間に、まったくいない。

お湯に浸かっているはずなのに、お湯の温度が、ぜんぜん入ってこない。

そんなあなたへ。

だいじょうぶ、あなただけじゃないですからね。

ぼくはずいぶん長いあいだ、過去と未来の住人でした。

反省と先取り不安。

あれこれの後悔と、あれこれの計画。

気がつくと、こころの90%以上が「今この瞬間」以外の場所にいて、

残り10%の自分で、お湯に入ったり、ごはんを食べたり、家族と話したりしていたんです。

そんな生き方で、こころが満ちるはずがない。

当然のように、ぼくは少しずつ、自分の人生の手触りを失っていきました。

食べたものの味も、好きな曲を聴いても、家族の笑顔も、なんとなく薄く感じる。

「あれ、ぼく、いつから幸せを感じる感覚が鈍ったんだろう」と思ったとき、

答えは、ぼくが「今この瞬間」にほとんどいなかった、というたったそれだけのことだったんです。

『而今』(にこん)。

過ぎ去ったあの瞬間も、まだ来ない未来の瞬間も、ぼくの手の中にはない。

ぼくが触れていられるのは、ただ今この瞬間だけ、という禅の言葉です。

これは「過去を考えるな」「未来を見るな」というルールではありません。

過去も未来も、考えてもいい。ただ、考えている「今」に、自分がいてあげる、ということ。

今日の小さな一歩は、お風呂のなかの「今この瞬間チェックイン」です。

湯船に浸かったら、目を閉じて、こころの中で順番に唱えてみてください。

「お湯の温度を、いま、感じています」

「自分の呼吸の音を、いま、聞いています」

「肩のあたりに、いま、お湯が触れています」

3つだけで十分。

頭の中に過去や未来の声が浮かんできても、追いかけない。

追いかけたくなったら、もう一度「お湯の温度を、いま、感じています」に戻ってくる。

過去のあの瞬間も、未来のあの瞬間も、ぼくの主人公ではない。

主人公は、いつも、今ここで湯船に浸かっているぼく。

焦らず、比べず、背伸びせず。

日曜の夜は、明日のためじゃなく、今夜の自分のために、お湯に浸かっていきましょうね。

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