『日日是好日』(にちにちこれこうじつ)|点数をつけない一日が、いちばんいい一日でした

あしたからまた一週間が始まる。

日曜日の夜、そう思うだけで、胸のあたりがズーンと重くなることはありませんか?

きょうはいい日だった。

きのうはダメな日だった。

今週はよくがんばれた。

先週は、なにも進まなかった。

ぼくたちは知らず知らずのうちに、一日一日に点数をつけて生きています。

とくに日曜日の夜は、今週の採点と、来週の予想採点が、いっぺんに押し寄せてくる時間。

胸が重くなるのも、無理はありません。

そんな夜に、そっと置きたい禅語があります。

『日日是好日』(にちにちこれこうじつ)。

少しむずかしいですが、これは中国の唐の時代の禅僧、雲門(うんもん)和尚の言葉として伝わる一句で、『碧巌録』(へきがんろく)という禅の書物に出てきます。

そのまま読めば、「毎日が好い日」。

でもこれは、「毎日いいことがあるよ」とか「ポジティブにいこう」という意味ではないんですね。

雨の日は、雨の日として。

晴れの日は、晴れの日として。

うまくいかない日は、うまくいかない日として。

比べたり、点数をつけたりせずに、その日をその日のまま生ききる。

そうすれば、どの日も、かけがえのない「好日」になる。

ぼくは、そんなふうに受けとっています。

考えてみると、ぼくたちが一日につける点数って、ずいぶんいいかげんなんです。

仕事がはかどれば、高得点。

人にほめられれば、高得点。

予定どおりに進めば、高得点。

採点基準のほとんどが、「外側のものさし」でできている。

その日の空の色や、ごはんのあたたかさは、採点にほとんど入っていないんですね。

じつは、ぼくがこの言葉に救われたのは、部屋から出られなかった時期のことです。

事業に失敗して、こころとからだを壊して、長いあいだ引きこもっていたころ。

当時のぼくは、一日の終わりに、毎晩じぶんに点数をつけていました。

きょうもなにもできなかった、0点。

外に出られなかった、0点。

みんなが働いている時間に寝ていた、0点。

点数をつけるたびに、じぶんのことが、どんどん嫌いになっていきました。

点数が低い日がつづくと、こんどは「じぶん自身が0点なんだ」と思うようになります。

一日の採点だったはずが、いつのまにか、じぶんの存在の採点になっていく。

いま思えば、あれがいちばん、こころを削っていました。

一日の出来事と、じぶんの価値。

このふたつは、ほんとうは別のものなのに。

でも、あるとき、ふと気づいたんです。

0点をつけているのは、世間でもなく、だれかでもなく、ぼく自身だったということに。

それで、ためしに、採点をやめてみました。

すると、ふしぎなことが起こったんです。

カーテンのすき間から入る夕方の光が、きれいだったこと。

あたたかいお茶が、のどを通っていく感覚。

なにもできなかった一日の中にも、ちゃんと「その日にしかない時間」が流れていたこと。

点数をつけない日は、そのまま、好日でした。

これも、つみへらしのひとつだと思うんです。

「いい一日にしなきゃ」という足し算をやめて、「その日をその日のまま受けとる」という引き算。

がんばって好日にするのではなくて、採点を手放したら、もう好日だった。

そういう順番なんですね。

そして、これは特別な日だけの話ではありません。

なんでもない月曜日も。

うまくいかなかった水曜日も。

だらだら過ごしてしまった日曜日も。

その日は、人生でいちどきりの、その日です。

二度と来ない日に、0点も100点も、つけようがない。

そう思うと、採点そのものが、すこしおかしなことに思えてきませんか。

禅は、「いま、ここ」をだいじにします。

きのうと比べない。

あしたを先取りしすぎない。

目の前の一日を、ただ丁寧に生きる。

『日日是好日』は、その積み重ねのことなんだと思います。

とはいえ、あしたへの不安が消えるわけではないですよね。

それで、だいじょうぶです。

不安なままで、だいじょうぶ。

不安な日も、不安な日のまま、好日ですから。

「あしたが不安なまま眠るなんて」と思うかもしれません。

でも、不安は、あなたがあしたを、ちゃんと生きようとしている証拠でもあります。

どうでもよければ、不安にすらならないですから。

その不安ごと、きょうという日の中に、そっと置いて眠っていいんです。

今夜の小さな一歩を、ひとつだけ。

眠る前に、きょう一日に点数をつけるのをやめて、こうつぶやいてみてください。

「きょうは、きょうという日だった」

それだけ。

評価も、反省も、あしたの計画もいりません。

一日を採点せずに、ただ、そっと閉じる。

それが『日日是好日』の、いちばん小さな練習だと、ぼくは思っています。

うまくつぶやけない夜があっても、だいじょうぶ。

つい反省が始まってしまったら、「あ、採点してたな」と気づくだけでいい。

気づけたら、その瞬間、もう手放しはじめていますから。

だいじょうぶ。

どんな一日も、あなたが生きた、たったひとつの日です。

きょうも、一日を生きました。

それだけで、もう、じゅうぶん。

今夜はどうか、点数のない眠りを。

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