この暑さの中でも、「いつも通りやらなきゃ」と、気合で乗り切ろうとしていませんか?
朝から茹だるような気温なのに、予定はいつも通り。
ペースもいつも通り。
弱音を吐くのは、なんだか負けた気がして。
汗だくで帰ってきても、「これくらいで疲れたなんて」と、じぶんに厳しくしていませんか?
がんばり屋さんは、夏の過ごし方まで、がんばってしまうんですよね。
そんなあなたへ、きょうはこの言葉を置かせてください。
暑さに、勝とうとしなくていい。
「夏に負けるな」「暑さに勝とう」という言葉を、ぼくたちは子どものころから、たくさん浴びてきました。
でも、よく考えてみると、ふしぎな話なんです。
相手は、太陽です。
相手は、季節です。
人間が勝ち負けを挑むには、あまりに大きすぎる相手なんですね。
それなのに、ぼくたちは「暑さに負けた」と言っては、じぶんを責めます。
食欲が落ちたら、負け。
ぐったりして昼寝をしたら、負け。
冷房の部屋から出られなかったら、負け。
でも、それは負けではなくて、からだが正直なだけなんです。
暑ければ、だるくなる。
暑ければ、食欲も落ちる。
それは故障ではなくて、からだが一生けんめい、あなたを守ろうとしている反応なんですね。
からだは、いつだって、あなたの味方です。
かつてのぼくは、季節に関係なく、同じペースで走りつづけるのが「正しい」と思っていました。
事業をやっていたころは、真夏だろうと真冬だろうと、予定表はぎっしり。
からだが「しんどい」と小さな声を上げていても、聞こえないふりをしていました。
からだの声を無視しつづけた先で、ぼくはこころもからだも壊しました。
こころとからだは、つながっています。
からだの「しんどい」を無視する練習を重ねると、こころの「しんどい」にも、気づけなくなっていく。
ぼくの場合は、その両方が、いっぺんに来ました。
倒れてから気づいたんです。
からだは、根性でどうにかするものじゃなくて、天気みたいに「聴く」ものだったんだと。
雨の日に、雨をやめさせようとする人はいませんよね。
傘をさすか、予定を変えるか、濡れて帰ってお風呂に入るか。
雨には勝てないから、ゆずる。
そのかわり、じぶんのほうを、やわらかく変える。
暑さも、おなじです。
夏は「勝つ」季節じゃなくて、「ゆずる」季節。
ゆずるのは、負けではありません。
自然と調和して生きるという、いちばん古くて、いちばん賢いやり方です。
禅の世界でも、自然に逆らわず、季節とともにあることが、だいじにされてきました。
夏には夏の生き方がある。
それでいいんです。
暑い盛りは、ゆっくり動く。
日の高い時間は、無理をしない。
涼しい朝や夕方に、そっと動く。
昔の人は、そうやって夏とつきあってきました。
勝とうとせず、上手にゆずりながら。
とはいえ、仕事も家のことも、休めないよ、という声も聞こえてきそうです。
そうですよね。
ぜんぶを手放しましょう、とは言いません。
ただ、「いつも通り」だけ、そっと手放してみませんか。
十のうち、八でいい。
歩く速さを、少しゆるめていい。
ひとつくらい、予定を減らしていい。
それは、さぼりではなくて、調整です。
楽器の弦だって、季節にあわせて調整しますよね。
張りっぱなしの弦は、いつか切れてしまう。
あなたのからだも、季節にあわせて、ゆるめていいんです。
「あれもこれも」を、「これだけは」に。
夏は、暮らしのつみへらしを練習する、ちょうどいい季節でもあります。
減らすことは、あきらめることではありません。
ほんとうにだいじなものを、だいじにするための引き算です。
そこで、きょうの3分ワークです。
①冷たい水を、ひと口ずつ、ゆっくり飲む
②冷たいタオルで、首すじをそっと冷やす
③そのあいだに「きょうは、このくらいでいいよ」と、からだに声をかける
たった3分ですが、からだへの「聴く時間」になります。
ポイントは、③の声かけです。
からだに話しかけるなんて、少し照れくさいかもしれません。
でも、ずっと無視されてきたからだは、聴いてもらえるだけで、ふっとゆるむんです。
水の冷たさ、タオルの気持ちよさ。
そういう小さな感覚を「感じる」こと自体が、いま、ここに帰ってくる練習にもなります。
からだは、あなたがこの世界を生きるための、たったひとつの乗りもの。
夏のあいだくらい、ゆっくり運転で、だいじょうぶです。
暑さに勝たなくても、この夏をちゃんと通り抜けられたら、それがいちばんの勝ち、というより、もう勝ち負けじゃないですね。
今夜は、いつもより15分だけ早く、横になってみるのもいいかもしれません。
眠りは、夏のいちばんの味方ですから。
きょうも、ご自愛ください。
言葉のとおり、じぶんを、愛するように。
