人と会って、笑って、たくさん話して。
帰り道、ひとりになったとたん、ドッと疲れが押し寄せてきませんか?
きょうのじぶんの発言を思い返して、「あれ、変じゃなかったかな」とヒヤヒヤしていませんか?
楽しかったはずなのに、なぜか、へとへと。
そんなあなたへ。
だいじょうぶ、あなただけじゃないですからね。
気をつかいすぎた日は、じぶんを、なだめる日です。
外では明るくふるまえるのに、家に帰るとぐったりする人がいます。
その場の空気を読んで、だれかの表情の小さな変化に気づいて、先回りして動けてしまう人。
いわゆる、かくれ繊細さんです。
まわりからは「社交的だね」「気がきくね」と言われるのに、本人の中では、笑顔の在庫がどんどん減っていく。
ぼくも、ずっとそうでした。
人と会うのは、きらいじゃないんです。
むしろ、好きなほうで。
でも、会っているあいだ、ぼくのこころは、フル回転していました。
この人はいま、退屈していないかな。
さっきの一言、失礼じゃなかったかな。
そろそろ話題を変えたほうがいいかな。
そして家に帰ると、電池切れ。
帰り道では、きょうの会話の録画が、頭の中で勝手に再生されはじめます。
あのとき、笑うところ、まちがえてなかったかな。
あの人、途中から口数が減ったけど、ぼくのせいじゃないかな。
だれも採点なんてしていないのに、ひとり反省会だけは、毎回フルコースでした。
かつてのぼくは、そんなじぶんを責めていました。
「人と会っただけで疲れるなんて、じぶんはおかしいんじゃないか」って。
まわりを見れば、平気そうな顔で予定を詰めこめる人もいる。
何人と会っても、けろっとしている人もいる。
それに比べてじぶんは、と、また比べてしまう。
気をつかって疲れて、疲れたことでまた落ちこんで。
いま思えば、ずいぶん律儀に、じぶんをすり減らしていました。
でも、いまなら、はっきり言えます。
おかしくなんて、ありません。
気をつかえるのは、やさしさの才能です。
人の気持ちに気づけるセンサーが、人よりこまやかなだけ。
ただ、こまやかなセンサーは、電気をたくさん使うんです。
高性能なカメラほど、電池の減りが早いのと、おなじです。
人の表情の、細かな変化まで写しとっているのだから、消耗して当然なんですね。
だから、疲れて当然。
むしろ、それだけ働いたのだから、疲れないほうがふしぎなくらいです。
問題は、疲れることではなくて、疲れたあとに、じぶんを責めてしまうこと。
気をつかった上に、じぶんまで責めたら、こころは二重に働くことになりますから。
それと、もうひとつ。
疲れたからといって、「楽しくなかった」わけではないんですよね。
楽しかったのも、ほんとう。
疲れたのも、ほんとう。
このふたつは、ちゃんと同時に成り立ちます。
「楽しかったのに疲れたなんて、なんだか失礼かな」と思わなくて、だいじょうぶ。
うんと走ったあとの、心地よい筋肉痛みたいなものですから。
そこで、きょうの小さな一歩は、「なだめ方」を3つ、お渡しします。
①ひとりの時間を、ちゃんと「予定」に入れる
回復も、予定のうちです。
人と会ったあとの空白は、さぼりではなくて、充電時間。
手帳に書いてしまっていいくらい、だいじな時間です。
ぼくはいま、人と会う予定の前後に、なにも入れない時間を置くようにしています。
これを決めてから、人と会うことが、前よりずっと好きになりました。
安心して電池を使えるとわかっていると、その場を、ちゃんとたのしめるんです。
②あたたかい飲みものを、ゆっくり飲む
気をつかった日は、こころが外に出ずっぱりだった日。
湯のみを両手で包んで、あたたかさを感じると、こころが少しずつ、じぶんの中に帰ってきます。
③「きょうも、よく気をつかったね」と、じぶんに声をかける
だれもねぎらってくれなくても、じぶんだけは、じぶんの働きを知っています。
がんばったのは、ほんとうのことですから。
ひとり反省会が始まりそうになったら、「あ、また裁判が始まったな」と気づいて、そっと閉廷してあげてください。
判決を出さないまま眠っても、だれも困りませんから。
気をつかわない人に、なる必要はありません。
つかったら、なだめる。
減ったら、充電する。
それだけで、あなたのやさしさは、ちゃんと続いていきます。
あなたがいる場所は、あなたが思っているより、ずっとあたたかくなっています。
あなたのセンサーが拾ってきた小さな気配りに、救われた人が、きっといるはずです。
本人の見えないところで働くのが、やさしさの、ちょっと損なところですね。
きょうも一日、たくさん気をつかったあなたへ。
今夜は、だれの顔色も読まなくていい時間を、じぶんにプレゼントしてくださいね。
おつかれさまでした。
