『放下著』(ほうげじゃく)〜手のなかの重荷を、ポーンと放る、日曜の夜に〜

日曜の夜、あしたの荷物を、もう背負っていませんか?

まだ月曜は来ていないのに、会議のこと、あの人の顔、たまった仕事。

先回りして、こころのなかでぎゅうぎゅう抱えてしまうこと、ありますよね。

日曜の夕方から夜にかけて、じわじわと気持ちが沈んでいく、あの感じ。

名前をつけたくなるくらい、たくさんの人が、同じ夜を過ごしています。

だからまず、これだけ。

だいじょうぶ、あなただけじゃないですからね。

こんにちは。ライフコーチのりょーすけです。

きょう、8月23日は、暦の上では「処暑(しょしょ)」。

厳しい暑さが、少しずつやわらいでいくころ、とされています。

夏が、そろそろ手放しの支度を始める夜に、ぴったりの禅語を持ってきました。

『放下著』(ほうげじゃく)

少しむずかしい言葉ですが、順番に見ていきますね。

「放下(ほうげ)」は、手放すこと、投げ捨てること。

「著(じゃく)」は、命令を強める言葉です。

つまり『放下著』は、「捨ててしまえ!」という、なかなか勢いのある禅語なんです。

禅語には、やさしくささやいてくれるものもあれば、こうして背中をバシッとたたいてくるものもあります。

『放下著』は、後者の代表みたいな言葉ですね。

この言葉には、こんな問答が伝わっています。

昔、中国に趙州(じょうしゅう)という和尚さんがいました。

あるとき、修行者が訪ねてきて、胸を張って言います。

「私は、何もかも捨ててきました。もう何ひとつ持っていません」

趙州さんの返事は、ひとことでした。

「では、それを捨てなさい」

……どういうことでしょうか。

「何も持っていない」と思っている、その想いこそが、いちばん重い荷物だった。

そういうお話なんですね。

はじめてこの話を知ったとき、ぼくは、ドキッとしました。

身に覚えが、ありすぎたからです。

ぼくなりに翻訳すると、こうなります。

手放そう、手放そうと、がんばるほど。

ぼくたちは「手放せた自分」や「まだ手放せない自分」を、ぎゅっと握りしめてしまう。

だから、考えこまずに、ポーンと放ってごらん。

かつてのぼくにも、覚えがあります。

どん底から立ち直ろうとしていたころ、ぼくは「もう吹っ切れた」が口ぐせでした。

過去の失敗も。

人からの評価も。

「あのときこうしていれば」も。

ぜんぶ手放したつもりで、じつは、手放せた自分を証明することに必死でした。

握っていることにすら、気づいていなかったんです。

「執着を手放す」ということ自体に、執着していた。

いま思えば、笑ってしまうような話ですが、当時は大まじめでした。

手放すことは、がんばってやる作業ではなくて、ふっと力を抜いた瞬間に、勝手に起こるものでした。

グーに握った手は、開こうと力むのではなくて、力を抜けば、ひらくんですよね。

手放すのに必要なのは、努力ではなくて、ゆるむこと。

ふとんに入って、ふうっと息を吐く、あの瞬間に近いものだと思います。

ところで、季節は手放しの名人です。

夏は、夏に執着しません。

どれだけ暑さをふるっても、処暑が来れば、すっと秋に席をゆずっていく。

「まだ夏でいたい」と、ごねたりしない。

その潔さを、ぼくたちも少しだけ、まねしてみたいのです。

きょうの夜風が、少しやわらいでいたら、それは季節からの「手放してごらん」の合図かもしれません。

とくに、日曜の夜は。

あしたの荷物を、今夜のあなたが背負う必要はありません。

あしたの荷物は、あしたのあなたが、ちゃんと持ってくれます。

今夜のあなたの仕事は、ただ、ゆっくり休むことだけ。

それ以上のことは、なんにも要りません。

それでも背負ってしまうのが、人間です。

だから、背負っていることに気づくだけでも、じゅうぶん。

気づけば、下ろせますから。

「また背負ってるな、ぼく」

そんなふうに、ひとりごとみたいに気づいてあげるだけで、荷物はふっと軽くなります。

さて、今日の小さな一歩です。

寝る前に、ふとんの上で、やってみてください。

①両手を、ギュッと10秒だけ握る

②ふわっと、ゆるめて開く

③開いた手のひらを眺めながら、こころのなかでつぶやく。「きょうは、ここまで」

握っていたものが、ポーンとどこかへ飛んでいくところを、想像してみてください。

月曜の心配も。

言えなかったひとことも。

返しそびれた連絡も。

うまくできなかった自分へのダメ出しも。

ぜんぶ、ポーンと。

もし、それでも頭のなかがグルグルするなら、気がかりを紙に書き出して、くしゃっと丸めて、ゴミ箱にポーンでもいい。

からだをつかって手放すと、頭より先に、こころがゆるんでくれます。

うまく手放せない夜が、あってもいい。

そういう夜は、手放せない自分ごと、ふとんにあずけて眠ってしまいましょう。

『放下著』。

捨ててしまえ、と趙州さんは言いました。

千年以上むかしの言葉が、日曜の夜のぼくたちにこんなに効くなんて、ふしぎですね。

でも、ぼくからは、もう少しやわらかく。

今夜くらいは、手ぶらで眠りましょう。

おやすみなさい。

今週も、ほんとうにおつかれさまでした。

Share

X Facebook LINE

禅

『掬水月在手』——つかめなかった月は、すくった水のなかに、ちゃんといました

九月の、最後の日です。 このあいだ、「半年でできなかったことの数より、ひとつだけつづいたことを数えてみませんか」と書きました。 今日はそのつづきを、禅の言葉をひとつお借りして書かせてください。

禅

『中道』(ちゅうどう)——まんなかを、さがしすぎない

がんばりすぎか、なまけすぎか。 やさしすぎか、冷たすぎか。 自分のことを、いつもそのどちらかで採点していませんか? ちょうどいいところに立ちたいのに、気づくとどっちかに寄っていて。

禅

『冷暖自知』(れいだんじち)|その湯かげんは、あなたの手でしかわからない。人の正解を、借りたままにしなくていい

連休が近づくと、いろんな「正解」が流れてきませんか? いま行くならここ。 休みの日は、こう過ごすと満足度が高い。 なにもしない日をつくるのが、じつはいちばん大事。