どの子も、どんな色でもいい。夏の終わりの子どもたちを眺めながら、ぼくが願っていること

子どものころ、「みんなと同じ」ができなくて、ドキッとしたことはありませんか?

みんなが空を青く塗っているのに、じぶんだけちがう色を選んでしまって、あわてて塗りなおした。

大きな声で歌える子のとなりで、口だけ動かしていた。

早くできた子から順にほめられて、じぶんの番がこないまま終わってしまった。

そんな小さな記憶が、おとなになった今も、こころのどこかに残っている気がします。

思い出すと、いまでも胸のすみが、ちくっとする。

そのくらい、子どものころの「みんなと同じ」の圧は、つよかったんですよね。

ぼくはいま、保育の現場に関わっています。

といっても、えらそうに何かを教える立場ではありません。子どもたちが毎日を過ごす場所を、うしろのほうからそっと支えている。そのくらいの距離感です。

それでも、その場所の空気にふれるたび、いつも思うことがあります。

子どもって、ほんとうに色とりどりだなあ、ということです。

じっとしていられない子がいます。すみっこで黙々と積み木を積み上げる子がいます。

泣き虫の子も、だれよりも先に「かして」と言える子も、セミの抜けがらを宝物みたいににぎりしめている子もいます。

どの子も、ぜんぶちがう。

そして、どの色にも「正解」なんてありません。

元気いっぱいが正解で、おとなしいのはざんねん、なんてことはない。

早いが正解で、ゆっくりはおくれている、なんてこともない。

おとなの世界では、つい「できる・できない」のものさしで人を測ってしまいがちです。

ぼく自身、そのものさしでじぶんをさんざん測って、さんざん傷ついてきました。

だからこそ、子どもたちのそばに置かれるものさしだけは、やわらかいものであってほしいと願っています。

ぼくには、だいじにしている言葉があります。

You can be any color you want.

あなたは、なりたいどんな色にもなれる。

優劣ではなくて、彩り。

速いか遅いかではなくて、その子らしいいろ。

そういうまなざしで子どもたちを見つめられる場所を、ひとつでも増やしていきたい。

それが、ぼくの小さな願いです。

保育の現場には、毎日、子どもたちの色をだいじにしようと奮闘しているおとなたちがいます。

その姿を近くで見せてもらうたび、ぼくは背筋がのびる思いがします。ありがたいなあ、と思うのです。

子どもの色をだいじにするというのは、なにか特別なことをするというより、「そのままで、いいねえ」というまなざしを、そっと注ぎ続けることなのかもしれません。

じつは、こんなことを言っているぼく自身が、長いあいだ「同じ色」になろうとして生きてきました。

まわりの期待にこたえようと起業して、うまくいっているふりをして、こころをすり減らして。

やがてアディクションに沈み、引きこもり、人生の色をぜんぶ失ったような時期がありました。

あのころのぼくは、じぶんの色どころか、じぶんの輪郭さえ見えなくなっていたと思います。

そこから少しずつ立ち上がるなかで、ようやく気づいたことがあります。

「みんなと同じ色になれない」ことが、問題だったんじゃない。

「同じ色にならなきゃいけない」と思い込んでいたことが、しんどさの正体だったんです。

だからこそ、思うんです。

子どもたちには、できるだけ早いうちに、からだの奥のほうで知っていてほしい。

きみは、どんな色でもいいんだよ、って。

はみ出した色も、まざりきらない色も、ぜんぶきみの彩りなんだよ、って。

その手ざわりをひとつ持っているだけで、この先どこかで折れそうになったとき、きっとその子を支えてくれると思うから。

そして、これを読んでくれているあなたにも、おなじことを伝えたいのです。

あなたのなかにも、子どものころの「あの子」が、まだいるかもしれません。

塗りなおした色を、おとなになった今も、どこかで塗りなおし続けているかもしれません。

空気を読んで、じぶんの色をひっこめて。それでいて、ちゃんと笑顔で。

ここまで、ほんとうに、がんばってきましたね。

もう、いいんですよ。

だれかと同じ色になれなくても、あなたの値打ちは、一ミリも減りません。

むしろ、まざりきらないその色こそが、あなたにしか出せない彩りなのだと、ぼくは思っています。

絵の具とおなじです。

ぜんぶがおなじ色になった絵より、いろんな色が並んでいる絵のほうが、ずっとゆたかで、ずっと美しい。

この世界も、きっとおなじだと思うのです。

夏の終わり。新学期がちかづいて、子どもたちも、おとなたちも、どこかそわそわする季節です。

こんなときこそ、大きなことはしなくてだいじょうぶ。

今日の小さな一歩として、ひとつだけ。

「じぶんの好きな色」を、こころのなかにそっと思い浮かべてみてください。

理由はいりません。なんとなく、でいいんです。

青でも、だいだいでも、名前のつかないあいまいな色でも。

きのうと今日で、ちがう色でもかまいません。

色は、変わっていいものですから。

その色を「好きだなあ」と選べるあなたが、ちゃんとここにいる。

それだけで、今日はじゅうぶんです。

焦らず、比べず、背伸びせず。

どの子も、どんな色でもいい。

もちろん、あなたも。

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