かつてのぼくは、疲れを「気のせい」にする名人でした。
からだが重くても、「寝れば治る」。
頭がぼんやりしても、「気合いが足りない」。
そうやって、目の前のやるべきことをただ「さばく」ことだけを考えて、からだの声をぜんぶ無視して走っていました。
起業していたころのぼくです。
その結果、どうなったか。
ある日、ボキッと折れました。
こころも、からだも。
アディクションに沈み、引きこもり、長いあいだ動けなくなりました。
からだの声を無視し続けた請求書は、あとから、まとめてやってくる。
ぼくはそれを、身をもって知りました。
折れてから気づいたのですが、からだは、ずっとサインを出してくれていたんです。
朝、起き上がるのに時間がかかる。好きだったものが、おいしく感じない。ささいなことで、イライラする。
ぜんぶ、からだからの「そろそろ休もうよ」という手紙でした。
ぼくはその手紙を、読まずに積み上げていました。
忙しさを言いわけにして、じぶんのからだの声だけ、あとまわしにして。
「まだいける」は、たいてい、もう疲れているサインだったりもします。
もしいま、あなたのなかに思い当たるサインがあっても、じぶんを責めないでくださいね。
サインに気づけたなら、それはもう、回復の入り口に立っているということですから。
だから、夏の終わりのこの時期になると、あなたに伝えたくなるのです。
夏の疲れは、夏のうちに手放しましょう、って。
この8月、あなたのからだは、そうとうがんばってきました。
朝から刺すような日ざし。
外の暑さと、冷房の寒さの、行ったり来たり。
冷たいものにかたよりがちな食事。
寝苦しくて、浅くなる眠り。
自覚があってもなくても、からだはずっと、フル回転で調整をし続けてくれていたんです。
いまのだるさや重さは、あなたが弱いからではありません。
がんばった証拠です。
まずそこを、まちがえないでいてほしいのです。
そして、疲れというのは、ためこむほど利子がつきます。
「9月になったら休もう」と思っているうちに、涼しくなったとたん、どっと動けなくなったりする。
かつてのぼくのように、まとめて請求される前に。
小さく、こまめに、手放していきましょう。
とはいえ、休むことに罪悪感をおぼえる人も、いるかもしれません。
ぼくもずっと、そうでした。
休む=なまけている、という思い込みが、こころの奥に根を張っていました。
みんながんばっているのに、じぶんだけ休むなんて、と。
でも、いまは、こう考えています。
休むことも、ちゃんと修行のうち。
からだをいたわることは、さぼりではなくて、丁寧に生きることそのものだと。
道具だって、使いっぱなしでは切れ味が鈍ります。
手入れの時間があってこそ、また気持ちよく働いてくれる。
からだなら、なおさらです。
それに、休むのがへたな人は、なまけ者どころか、その逆です。
がんばるのが当たり前になりすぎて、がんばっていない状態が、そわそわして落ち着かない。
休み方を忘れてしまうくらい、長いあいだ、がんばり続けてきたということですから。
だからこそ、休む練習は、小さいほうがいい。
いきなり「一日ゆっくりする」はハードルが高くても、「今夜の3分」なら、きっとできます。
今日の小さな一歩は、今夜の「3分のねぎらい」です。
①今夜は、できれば湯船につかります。むずかしければ、シャワーをいつもより丁寧に、ゆっくり浴びる
②布団に入る前に、スマホを枕元から少しだけ遠くに置く
③布団のなかで、からだにひとこと。「この夏も、ありがとう」
それだけで、いいんです。
ストレッチも運動も、今夜はしなくてだいじょうぶ。
まずは、ねぎらいから。
不思議なもので、「ありがとう」を言われたからだは、ふっとゆるみます。
ゆるんだからだは、眠りで、ちゃんとじぶんを直しはじめてくれます。
ぼくたちにできるのは、その邪魔をしないことくらいなんですよね。
思えば、引きこもっていた時期のぼくを、最後まで見捨てなかったのも、このからだでした。
こころがまっくらな夜も、心臓は淡々と動き続けて、朝になれば、ちゃんと目を覚まさせてくれた。
そのことに気づいたとき、ぼくは初めて、じぶんのからだに「ありがとう」と言えた気がします。
特別なケアを、毎日続ける必要はありません。
思い出した夜にだけ、ひとことねぎらう。そのくらいのゆるさが、いちばん長続きします。
からだは、あなたのいちばん古い相棒です。
文句も言わず、この暑い夏を、いっしょに歩いてくれました。
その相棒に「ありがとう」を言える夜は、それだけでちょっと、ゆたかな夜だと思うのです。
夏の疲れは、夏のうちに。
手放して、軽くなって、9月をむかえましょう。
焦らず、比べず、背伸びせず。
今日もほんとうに、おつかれさまでした。
