「働く」という言葉をきいて、少し肩に力が入りませんか?
働くからには、成果を出さなきゃ。
迷惑をかけちゃいけない。役に立たなきゃ。
そんな声が、あたまのなかで鳴っていませんか?
ぼくはいま、障害のある人たちが働く場所に関わっています。
その場所で日々感じているのは、働く場所って、成果を出す場所である前に、「今日の居場所」なんだ、ということです。
朝、「おはよう」と言える場所がある。
名前を呼んでくれる人がいる。
じぶんの座る席があって、じぶんの役割がある。
それだけのことが、人のこころを、どれだけ深いところで支えてくれるか。
ぼくは、身をもって知っているつもりです。
というのも、ぼく自身、居場所をぜんぶ失った時期があるからです。
起業して、走って、こころが折れて。
アディクションに沈んで、引きこもって。
あのころのぼくには、行く場所がありませんでした。
朝、起きても、どこにも「おはよう」を言う相手がいない。
社会のどこにも、じぶんの席がない気がして、世界からそっと切り離されたような感覚のなかにいました。
いま思えば、あのしんどさの芯にあったのは、お金でも肩書でもなく、「居場所のなさ」だったと思います。
そんなぼくが、もういちど社会とつながり直せたのも、思えば、小さな居場所からでした。
だれかが「おはよう」と言ってくれる。じぶんの名前を、呼んでくれる人がいる。
たったそれだけのことで、こころの底のほうに、ぽっと灯りがともる。
働けるようになったから居場所ができたのではなくて、居場所があったから、また働けるようになった。
ぼくのなかでは、順番は、そちらでした。
居場所というのは、そのくらい、人の根っこに近いところで効いてくるものなんですよね。
だからこそ、いま、思うんです。
働く場所が、そのままその人の居場所になる。
そんな場所を、この社会にひとつでも増やしたい、と。
うまく働ける日も、うまく働けない日も、「居ていい」と思える場所。
できることのおおきさで値打ちが決まるのではなくて、そこにいること自体がだいじにされる場所。
生産性のものさしだけじゃなくて、彩りのものさしがある場所。
ぼくには、だいじにしている言葉があります。
You can be any color you want.
あなたは、なりたいどんな色にもなれる。
どんな色のままでも、働いていい。居ていい。
それがぼくの、つくりたい未来です。
現場にいると、はっとさせられる瞬間が、たくさんあります。
きのうまでうつむいていた人が、じぶんのつくった作品を「見て」と差し出してくれる。
作業の速さでは測れないところで、その人の彩りが、ふっと立ちのぼってくる。
そういう瞬間に立ち会うたび、思うんです。
人は、直されて変わるのではなくて、安心できる場所で、勝手に花ひらいていくんだなあ、と。
ぼくにできるのは、咲かせることではなくて、安心して咲ける土を、たがやし続けることくらい。
でも、それでいいのだと思っています。
念のため、言っておきたいことがあります。
いまあなたが「職場がしんどい」と感じているとしても、それはあなたが弱いせいだと言いたいわけではありません。
居場所というのは、ひとりでがんばってつくるものではなくて、人と場のあいだに、ゆっくり育っていくものだと思うからです。
しんどい場所でがんばり続けているあなたは、それだけで、もうじゅうぶんがんばっています。
どうか、じぶんを責める材料にだけは、しないでくださいね。
今日の小さな一歩は、「じぶんの居場所を、ひとつ数えてみる」ことです。
大きな場所じゃなくて、いいんです。
家のお気に入りの椅子。通いなれた道の、いつもの角。よく行くお店の、いつもの席。
「ここにいると、ちょっと息がしやすいな」と思える場所を、ひとつだけ思い浮かべてみてください。
ひとつあれば、じゅうぶん。
数えてみて、「そういえば、あそこにいるときは息がしやすいな」と気づけたら、その場所を、これからも少しだけだいじにしてあげてください。
居場所は、探すものというより、気づいて、育てていくものだと思うから。
もし見つからなかったら、この文章の前を、今日の居場所にしてもらえたら、ぼくはうれしいです。
ちなみに、ぼくが関わっている場所のことは、「ライフアートラボ」という名前で発信しています。
気になった方は、そっとのぞいてみてください。
働く場所が、その人の居場所になる。
そんな未来へ、今日もトコトコ、歩いていきます。
焦らず、比べず、背伸びせず。
あなたの今日にも、息のしやすい場所が、ひとつありますように。
