8月最後の日曜日。
夜になって、胸のおくが、きゅっとせつなくなっていませんか?
あしたからのことを考えると、なんだか気が重くなっていませんか?
子どものころの、「宿題が終わらない8月31日」を、ふと思い出したりしていませんか?
そんなあなたへ。
だいじょうぶ、あなただけじゃないですからね。
夏休みの終わり。日曜の夜。月末。
今夜は、せつなさの材料が、これでもかと重なっている夜です。
こころがざわざわするのは、むしろ自然なことだと思うのです。
まず、伝えたいことがあります。
そのせつなさは、あなたが弱いからではありません。
夏をちゃんと感じて、ちゃんと生きた証拠です。
楽しかった時間があったから、終わりがさみしい。
季節の移ろいに気づけるこころだから、夕方の風の変化に、きゅっとなる。
せつなさは、感受性のゆたかさの、裏がえしなんですよね。
じつは、ぼくは長いあいだ、日曜の夜がこわい人間でした。
起業していたころは、月曜からの数字や予定を思って、眠れなくなりました。
こころが折れて、引きこもっていたころは、もっと不思議でした。
月曜も日曜も、ぼくにとっては同じ日のはずなのに、日曜の夜だけ、世界にひとりだけ置いていかれるような気がしたんです。
カーテンのむこうで、世界があしたの準備をしている気配。
あの気配が、あのころのぼくには、いちばんこたえました。
いま振り返ると、あの夜のせつなさには、いろんなものがまざっていたと思います。
みんなとおなじように月曜を始められないじぶんへの、ふがいなさ。
楽しかった記憶ほど、終わるときにちくっと痛む、あの感じ。
そして、「このままでいいんだろうか」という、出口の見えない問い。
せつなさって、ひとつの感情じゃなくて、いろんな気持ちのまざりあった、夕暮れ色の感情なんですよね。
だから、うまく言葉にできなくて、当たり前なんです。
「なんでこんなに落ち着かないんだろう」と、じぶんを不思議がらなくて、だいじょうぶ。
むしろ、せつなさをちゃんと感じられるのは、この夏をちゃんと生きた人だけです。
感じないふりをして走り続けるより、ずっと健やかなことだと、ぼくは思います。
だから、今夜せつないあなたに、えらそうなことは言えません。
「前向きにいこう!」なんて、口が裂けても言えません。
無理に前を向かなくて、いいんです。
せつないまま、ざわざわしたまま、今夜を過ごしていい。
感情は、天気とおなじです。
追い払おうとするほど居座って、「いてもいいよ」と認めると、案外するっと流れていく。
今夜のせつなさにも、「そこにいてもいいよ」と、小さく席をゆずってあげませんか。
席をゆずるコツは、せつなさに名前をつけてあげることです。
「ああ、いま、せつないんだなあ」と、こころのなかで、ひとこと実況する。
たったそれだけで、感情に飲み込まれている状態から、感情をながめている状態へ、すっと一歩さがれます。
飲み込まれずにながめられたら、感情は、もうあなたの敵ではありません。
そのうえで、今日の小さな一歩を、ふたつだけ用意しました。
どちらか、できそうなほうだけで、だいじょうぶです。
ひとつめ。「あしたの準備」を、ひとつだけ、うんと小さくやってみる。
あしたの朝に飲む水のコップを、出しておく。着る服を、椅子にかけておく。それだけ。
不安というのは、「何もできていない」という感覚が大好物です。
小さな準備がひとつあるだけで、あしたの朝のじぶんが、ちょっとだけ助かります。
ふたつめ。この夏の「よかったこと」を、ひとつだけ思い出してみる。
大きな思い出じゃなくて、いいんです。
おいしかったアイス。夕立のあとの匂い。だれかと交わした、なんでもないひとこと。
ひとつ思い出せたら、この夏はもう、ちゃんと「いい夏」です。
なにも思い出せない夜だって、あります。
それならそれで、「思い出せないくらい、しんどい夏をよく歩いてきたなあ」と、じぶんの肩をそっとなでてあげてください。
それも、りっぱなふりかえりです。
それから、もしどうしても眠れなかったら、眠れないじぶんを責めるのだけは、やめておきましょう。
目をつむって、布団のあたたかさを感じているだけでも、からだはちゃんと休まっています。
眠れない夜は、「眠らなきゃ」を手放して、「横になれていれば上出来」くらいに、ハードルをうんと下げてあげてください。
夏休みの終わりの夜は、子どもも、おとなも、みんな少しだけ心細い。
だから今夜は、せつなさごと、そっと布団に入りましょう。
だいじょうぶ。
あしたは、思っているより、ちゃんと来てくれます。
そして9月には9月の彩りが、静かに待っていてくれますから。
焦らず、比べず、背伸びせず。
おやすみなさい。
