『喫茶去』(きっさこ)|まあ、お茶でも。8月を、そっと手放す夜に

8月最後の夜。

あなたはこのひと月を、どんなふうに振り返っていますか?

できなかったことばかり、数えていませんか?

「夏らしいこと、何もできなかったなあ」なんて、ため息をついていませんか?

そんな夜にぴったりの禅語を、今日はひとつ、ご紹介させてください。

『喫茶去』(きっさこ)。

少しむずかしい字面ですが、だいじょうぶ。意味はとてもシンプルです。

「まあ、お茶でも飲んでいきなさい」。

昔の中国に、趙州(じょうしゅう)というおじいさんのお坊さんがいました。

このお坊さん、たずねてくる人に、いつもおなじ言葉をかけたそうです。

初めて来た人にも、「喫茶去」。

前に来たことのある人にも、「喫茶去」。

そばで見ていたお弟子さんにも、「喫茶去」。

まあ、お茶でも飲んでいきなさい。

えらい人でも、そうでない人でも。できる人でも、できない人でも。

分けへだてなく、まず一服。

ぼくはこの禅語を、じぶんなりにこう翻訳しています。

「どんなあなたでも、まずはお茶をどうぞ」。

評価は、あとでいい。

反省も、計画も、あとでいい。

その前に、まず、あたたかい一杯を。

じつはぼくは、振り返りがへたくそな人間でした。

振り返りのつもりが、いつのまにか「じぶん責め大会」になってしまうんです。

起業していたころは、月末のたびに、足りなかった数字を数えて眠れなくなりました。

どん底にいたころは、一日の終わりに、じぶんの駄目さを数えるのが日課のようになっていました。

裁判官のようなじぶんが、いつもこころに住んでいたんです。

再生の道のりのなかで、ぼくが少しずつ覚えたのは、「裁く前に、一服する」ということでした。

お茶をいれて、ただ飲む。

湯気を眺めて、香りをかいで、あたたかさが喉を通っていくのを感じる。

たったそれだけのことで、裁判官の声が、少し遠くなる。

「今、ここ」に戻ってくると、こころは案外、静かなんですよね。

考えてみれば、お茶を飲んでいる「今、ここ」には、過去も未来もありません。

じぶん責めは、いつも過去に向かいます。「あのとき、ああすればよかった」。

不安は、いつも未来に向かいます。「来月、だいじょうぶだろうか」。

でも、湯のみのあたたかさを感じている、その瞬間だけは、こころが「今」にいる。

裁判官は、過去と未来にしか住めないので、「今」にいるあいだは、静かにしているしかないんです。

趙州さんの「喫茶去」は、千年以上まえから、そのことを知っていたのかもしれません。

むずかしい理屈より先に、まず一服。あたまより先に、のどをあたためる。

順番が、やさしいんですよね。

8月が、今夜で終わります。

できたことも、できなかったこともある。

暑さにやられた日も、なんとか乗り切った日もある。

それらぜんぶを、採点しないで、まとめて「おつかれさま」にしてしまいませんか。

がんばれた日のあなたも、がんばれなかった日のあなたも、分けへだてなく、おなじ席へ。

趙州さんなら、きっとどちらにも、おなじ顔でお茶を出してくれたと思うのです。

「分けへだてなく」というのは、他人に対してだけの話ではありません。

ぼくたちがいちばん分けへだてしてしまう相手は、じつは、じぶん自身です。

できた日のじぶんは、ほめて迎える。できなかった日のじぶんは、玄関先で説教する。

そんなふうに、じぶんのなかに、待遇のちがう席をつくってしまう。

でも、どちらの日のじぶんも、おなじ一日を、ちゃんと生きて帰ってきたことに変わりはありません。

だからせめて月末の夜くらいは、どちらのじぶんにも、おなじ席と、おなじ一杯を。

今日の小さな一歩は、「3分の、しめくくりの一服」です。

①今夜、お茶を一杯いれます。あたたかいお茶でも、冷たい麦茶でも、白湯でもいい

②スマホは、ちょっとだけ遠くに置いて、ただ飲みます。味と、温度と、喉を通る感じだけを味わって

③飲み終わったら、こころのなかでひとこと。「8月、おつかれさま」

それで、この夏のしめくくりは完了です。

反省会は、なし。

9月の計画は、あしたからで、じゅうぶん。

もし飲んでいる途中で、反省や心配があたまに浮かんできても、だいじょうぶ。

「おっと、裁判が始まりそうだ」と気づいて、また湯のみのあたたかさに、そっと戻ってくればいい。

何度浮かんでも、何度でも戻ればいい。その行ったり来たりが、そのまま小さな修行になります。

手放すというのは、投げ捨てることではなくて、にぎりしめていた手を、そっとひらくことだと思っています。

一杯のお茶をもつために、手はしぜんと、ひらきます。

だから今夜の一服は、それだけでもう、小さな手放しの練習なんです。

がんばれた8月のあなたにも、がんばれなかった8月のあなたにも、おなじ一杯を。

まあ、お茶でも。

そうやって8月を、そっと手放しましょう。

あしたから始まる9月が、あなたにとって、息のしやすい季節でありますように。

おつかれさまでした。そして、おやすみなさい。

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